ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[386495hit]
■7316,閑話小題〜 『孤独論』ですか… 〜1
* 「ニヒリズムに落ち込む世界」 〜�
ー価値は、すべての観点から見たものに過ぎないー
「価値」を、一つの点に修練される「遠近法」の、それぞれの立ち位置
の観点でしかない、というのも面白い! 今まで「価値」の意味の解釈で、
最も合点がいく。情報化で、それぞれが違った立居地から情報の受発信が
出来るため、それが逆にニヒリズムを起因する。
(13) ≪ 誰もが、広い意味で、何かの「専門家」になってしまっていて、
特定の論点にしか関心を持てなくなってしまった。それぞれの観点を総合
することが出来ないのである。かくて、我々の世界像は、巨大なピカソ状の
壁画のようなもので、そこには統一もなければ、まともな論争も生じない。
全てがちぐはぐだ。それこそ、ニヒリズムの特質で、ニーチェも言うように、
ニヒリズムとは、統一も、目的も、真理も失われた状態である。≫
(14)≪『ではどうすればよいのか。このニヒリズムの時代には、残念ながら
容易に答えなど見つけられるすべもないのです。ニーチェは、価値は、全て
ある観点から見たものに過ぎない、といいました。確かな真理などという
ものはない。ただ、様々なパースペクティヴ(= 観点、見方)があるだけだ、
というのです。われわれは、結局、特定のある「パースペクティヴ」から
見ているに過ぎない、というわけです。その意味では、誰もがある特定の
専門家もどきにならざるを得ません。それはそうでしょう。そのことが悪い
わけでもないのです。・・ 「パースペクティヴ」といったときには、
すでにおぼろげながら、ある遠近法が忍び込んでいるのではないでしょうか。
ある特定の観点、という自覚そのものが、おぼろげながら遠近法を想定して
いるのではないでしょうか。少なくとも、様々な「パースペクティヴ」が
バラバラになっては困るのです。それらの観点が文字通り、ひとつの点に
収斂してくれなければ困るのです。・・この遠近法の収束点を与えるものは、
やなり、我々の構想力以外には無い。この構想力は、決してグローバルな
市場競争や大衆化した民主主義や新しい技術革新の延長上に置かれるもの
ではありません。それらは、世界を一層混沌へと落し込むでしょう。』≫
(15)≪『そうではなく、われわれが、われわれの歴史的経験と文化を確認
しつつ、しかも日常の常識(コモン・センス)に立ち返って将来の社会像や、
よき生というものを構想する力というほかないでしょう。それは決して
専門主義からは出てこないものなのです。一種の総合力と構想力なのです。≫
▼ ニヒリズムでは、世界は救われない。やはり総合力、構成力が必要である。
民主主義、自由主義が正しいと信じてきて、今さら何を信じろ!というのか。
長くとも、10年先に生きているかどうかと、考えると虚無になるが、せっかく
地球に奇跡的に生を受けたのだから、知る限りの知識と経験を貪欲に求めて
やろう、と生きるべきだが。
03月05日(金)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る