ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6893,閑話小題 〜最近にない暖冬!
若者、すなわち余りに早くおとなの秩序の継承者たることを自らに課した若者に、
おとなは奇妙な不信をおぼえる。そんな若者は、どこか痛ましい、さらに
いけないことにはどこか病的にすら思えるのである。若者の健康は、獣の健康
であっていい。エネルギーという、便利なことばがある。若者にも、しばしば
このことばがむすびつけられる。だがこのことばのもっている危険の味わいに、
わざと目をつむっているのではあるまいか。エネルギーの源は、いのちである。
そしていのちそのものは、善にも向かうかわりに、悪にも両かう。
エネルギーはいのちを自己否定する可能性すらはらんでいる。若者はいつの世
にも、おとなにとっては、危険な存在なのだし、またそうあるべきなのだ。
 いつかは君らにも金ができるさ、といったところで、若者はなっとくしない
だろう。若者はいま、金が欲しい。若者はいま、楽しみがいる。若者は正義を
求める。なぜなら、若者はいまを、生きている。 労働の場で、時には恋愛
の場で、若者はおとなたちと時代をわかちあっている。だが、おとなの現在に、
若者が自分の未来を見るようになる時、ひとつの時代の成長はとまる。
おとなは若者に未来を用意してやるべきでない。現在をこそ与えるべきだ。》
▼ 1970年に書かれた谷川俊太郎の『漂流者たち』である。当時、この文章を
 読んでいたら、どれほど慰められたかと思うのは私だけでないはず。
仕事は辛く、金は無く、自信も、先の見通しも無い。あるのは、心の奥の野望と
他人からの視線の恐怖。そこに「果たして、私に何が出来るのだろうか」の絶望
がまとわりつき、心は焦りと虚無感が渦巻いていた。若い時は良かった!
など、振り返ればこそ言えること。これは当時の心象風景そのもの。
そして、今は家の中の漂流者?   (>_

01月28日(火)
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