ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5755,閑話小題 〜これが今どきのギャル語ですか!
ため推理と知性を発揮してきました。問題を受け入れ、善さを見、ゆるし、
解放して自由にし、そして前進するか―あるいは怒り、おのれを哀れみ、
自分のことだけを思い、みじめに暮らすかです・・】
▼ 先日の新聞記事に「壁を乗り越えようとするな、壁のまわりを動き回れ、
そうすれば壁の隙間が見つかる。登ろうとするから、登れないと諦めてしまう」
というような内容があった。上記の内容に似ている。 20歳で創業を決意し、
準備を始め、結果は、2つの経済震災と東北大震災で、この結果に終わった。
が、創業も倒産も廃業も事業のうちである。その創業も、まずは精神である。
計画し、手順に入ると、まず思いもよらない難題が山のように次々と行手を
阻んでくる。 初めは、それを嫌々取り組んでいたが、慣れてくると、これこそ
が踏み台で、難題の中にこそ鍵があることが分かってきて、逆にゲームとして
楽しむようになる。この難題がゲームの醍醐味と自分に言い聞かせ暗示を
かける。下り坂より上り始めは夢はあるが、厳しい! それも数十倍も。
何だかんだあっても、事業人生は面白い。自分の限界が常に目先に立ち
塞がって、自分自身に直面する緊迫感が、である。今もか?
・・・・・・・
3553, 「閑話小題」 が一番面白い?
2010年12月17日(金)
「閑話小題」は書くネタが出尽くして、仕方なくメモがわりに書いた
中途半端な文章を小題として、幾つか重ねたもの。読者からみたらバレバレと
思っていた。だから、しゃ〜ない「B級品」と割り切っていた。その半分手抜き
の文章が先日、久々に参加した木鶏クラブの人から何気なく「閑話小題」が
一番面白いと言われ、何かの間違いと、再び聞き直したほど。それでも
「その人が、たまたま、そうか?」と半信半疑。ところが昨日、ある知人が
訪ねて来て「閑話小題」が面白いと全く同じことを言った。この10年間、
一度も言われたことがない「‘しょうがない’閑話小題」が面白いが偶然にも
一週間内に、たて続きである。実際、長い文章ほど時間もエネルギーも要する。
書くほうからしたら、その分、自己満足する。昨日の友人曰く、「それは、
あなたの言葉で、身近かなことを実感で書いているのが伝わってくるからよい」
という。日々の身近な内容はブログ「バード・ウォッチング」に書きとめていた。
要は実感として書いた文章こそ、相手に伝わるのである。記事とか書物の感想文
は、自分の記憶として留めておくためのマトメとして書いている。さらにいえば
一年先、数年先の自分が読み返し、消化するためのマトメ。読む方からしたら、
それは、それでしかない。しかし小題は書き散らした短文をマトメタもので
要点だけ書いてある。それなら閑話小題を多くすればよい。書いている方は無我
夢中であるが、読んでいる方は、その無意識の本音を楽しんでいるのである。
だから、冷笑も、侮蔑も、「何じゃい、笑うなら笑え、笑われて何ぼじゃ」
と割り切らないと。 ブログは結局は自慢話?の披瀝になる。
読んでいる方は冷静に、その辺が見えている。息抜きの文章が面白いとうと、
もう少し内容に強弱をつけた方が良いということか!書くテーマが見当たらず、
苦し紛れの「閑話小題」が、逆に、井戸の底から湧き出てくる水の味なのか。
書き、曝すことの恐ろしさと、面白さか。ネット・セルフも色いろ考えさせられる。
そこで、閑話小題を遡って調べたら、月に1〜2度しか書いてない。
内容も短くまとめてあり、解りやすく、言われるとおり。これからは週一ぐらい
は「閑話小題」を書くことにする。 ところで、「ツイッター」も時々
書いているんだけど! 少し軽すぎる?
12月17日(土)
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