ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4859,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー27
 (字数制限のためカット 2011年7月4日)
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2007年07月04日(水)
 2283, 10歳の放浪記     才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
この日曜日の朝、偶然にBS・NHKハイビジョンで「私が子供だったころ」を観て、思わず涙が溢れてしまった。
昭和25年、東京生まれの児童文学作家・上條さなえさんの実話。
10歳の時、父親が事業に失敗し家族離散、父親と池袋でホームレスの生活を1年過ごし、
その後児童福祉施設を経て、後に小学校教員になった経歴を持つ。
その過酷な子供の頃の生活を「10歳の放浪記」と題して本にした。あまりにも悲しい過去のため出版は躊躇していたが、
出版社から「いじめ問題や親子問題が多い現実にひとつの警鐘を」とくどかれ思い悩んだ末、出版したという。
この本を忠実にドラマ化したのが、TVの内容であった。
 ーその大筋を書いてみるー
不動産業をしていた父が事業に失敗して一家は離散。父と東京・池袋の簡易宿泊街で暮らした。
酒浸りの父に代わってパチンコでかせいで夕食にありつく毎日。高度経済成長期の昭和35年の頃の、学校に行けなかった
1年間の生活を淡々と描写してある。父とふたり、池袋のドヤ街でその日暮らしをしていた彼女を支えてくれたのは、
街で出会ったパチンコ屋の兄さん、やくざのお兄さん…など普通の人々である。 弱者に対して優しかった時代であった。 
そこは池袋駅西口を背にして左に数分歩くと、東京芸術劇場がみえてくる。目的地はその斜め向かいにあるホテルメトロポリタンだ。
かつてそこには1泊100円の簡易宿泊所があった。昭和35年、小学5年生上條は、当時43歳だったその日暮らしの父親と2人、
やむなくのホームレス生活だった。10歳という年で、道にお金が落ちていないか、道をさまよい、パチンコ屋の前で玉を拾い、
パチンコをする。1個、2個、3個と球が無くなり、4個目にチュウリップに入り玉が出る。5個目の球が、途中でひっかかると、
隣のおばさんが「このスイッチを押すと店員さんが来てくれるよ」と、教えられ、ブザーを押す。そこの店員が機械が壊れたと思い
「どうしたの」聞いた。さなえは自分がどうしたのかと聞かれたと思い「お父さんが病気なの」とかぼそい声で答えた。
それを聞いた店員は気の毒に思い、多くの球が出してやる。さらに金に換える方法を教えてくれた。
教えられて行った景品屋のヤクザが同情して、高い値段で買い取ってやる。それから毎日、パチンコに通い、生活を支えた。
しかし、ついに父が言う、「なぁ、なこちゃん、父ちゃんお前を育てるのに疲れちゃったよ」「なこちゃん、死のうか」しかし、
「子どもって、かなしいよね。大人に決められたら逆らえないし、どんないやなことだって、がまんしなきゃならないもんね」
「でも、なこちゃんは幸せだよ。お父さんも、お母さんも、お姉ちゃんも、いるから」。 いつも友のこの言葉を反芻し、
壊れていく父を励まし、生き抜く。こうした放浪の状態では、学校に通えなかったが、簡易宿泊所でドリルを使って勉強したり、
ヤクザから算数を習ったり、映画館に通い洋画の字幕などを見て勉強をする。お金がないのに映画館に通えたのは、
「中に父親がいるの。探してもいい?」と受付の人に言って、映画館に「フリーパス」で入っていく智慧を使う。
    (字数制限のためカット 2011年7月4日)
 

07月04日(金)
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