ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4639, デフレの真実 ー金持ちの本音 ―B
そして、知れば知るほど、知らないことの多さと不思議の多さに呆然とする。それらを考えること(哲学をすること)で、
少しずつ理解できると哲学者は言う。「死んでしまえば、それが何だった」としてもである。少し地球に存在し、少し認識したということ? 
それが存在の不思議を問う存在論になり、認識の意味を問う認識論になる。我われは地球に、遊びに、働きに、
そして学びに来ているのである。「よく遊び、学び、学べ」とは、よく言ったものである。         (((。・-・)从ホンジャ
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2006年11月28日(火)
2065, あたりまえなことばかり −16
  b(^o^)d おっ W(^O^)W  はよー! ー♪
この女哲学者よりも、私のほうが「心の中で生きているとは、どういう意味か」という内容に関しては、
深い経験をしているように思えたが、どうであろうか?両親が亡くなったときに、あくまで夢?であるが、
色いろな体験をしているからだ。父の場合、父の方の心理そのものになったり、母親も最近まで夢の中に出てきたからだ。
{全過去の記憶を現在として保有する「心」とは、その意味で存在そのものではなかろうか。
記憶は、「心の中」に存在するのではない。記憶こそが存在する現在である。
逆に、我われが現在生きるとは、存在の記憶を生きることである。}「記憶をなくした男」の映画を観たことがあるが、
まさに上記のとおりである。「自分が何者かわからない」ほど、恐ろしいものはないと、寒気がしたのを憶えている。
ただ、虚無が自分を取り囲んでいるだけだろう。本人がどうしてよいか解らない心理が、その映画で出いていた。
「過去を消したい」と思うのは、都合の悪い過去を消したいだけである。
「いま、ここ」は、全過去があるからこそ、垂直に立ち上がる。
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他者の死はなぜ悲しいのかー?
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*心の中で生きているとは、どういう意味なのか? 肉体として存在しないけれど、記憶として存在する他者は、その限り「存在する」。
この存在の意味を考えてみよう。死んだ人が心の中で生きている、しかし、先に我われは、死んだ人はあの世にいると納得したのでは
なかったか。心の中にいながら、あの世にいるその人は、すると、どこにいることになるのか。彼は「今」どこにいるというのか。
  ー2009年11月28日ー字数制限のため削除ー

11月28日(木)
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