ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4268, この非常事態に、万一の備えがあるの ? −3
解りやすくいえば、今までの丸抱えの職業訓練を、「一日500円払うから、就職の適正を互いに見合うという条件で
現場で教えてくれないか」という仕組みである。よく考えたものだ。採用する方も三ヶ月という期間、雇用保険も社会保険を
支払わないで済むというメリットがある。 三者両得という理屈に合った仕組みである。 ?¬_¬)nannjai
現在、職安に行くと30台ほどのパソコンが並んでいて、求職者で満杯で、一昔前の様子と様変わりという。
全く求人する方も求職する方も、世知辛い世の中になったものである。考えてみれば当たり前のことでしかない!
フウ〜 ( ̄ω ̄;)!! ーつづく
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2004年11月22日(月)
1329, 教養と自由とバカの壁
「教養とは自由になるためのアーツ(芸術・芸)」と、昨日の読書日記で書いた。
そういえば「自由」について以前書いたことがあった。 (後に、コピー)
そこでは、自由について
・積極的な自由とは、自分の真にしたいことを見つけて追求すること、
・消極的な自由とは、束縛されていることから解放されること、 の二つに分類した。
教養とは、「真に自分がやりたいことを見つけ実施していくために蓄積し、知識、経験を芸にまで高めておくこと」
である。また自己を束縛していることから、いかに解放するかのアーツ(芸術)といえる。
「話が通じない時、情報を遮断しているもの」を養老孟司が、「バカの壁」と名づけたが、
情報を遮断している小さな固定観念を一つずつクリアーしていくことが、経験を芸に昇華していくことになる。
自由とは、選択の自由である。多くの選択肢の中から、一つの選択をしなくてはならない。
これは非常に難しいことである。そこには決定という自己責任と結果が生まれてきて、その不安に常に付きまとわれる。
そこに哲学が必要になってくる。教養としての哲学は、取り囲んでいる壁に対して自覚することから始り、その壁を土台にすること、
そして乗り越えるのに必要になる。話は少し変わるが、「英語をマスターすることも教養のうちか?」と、問われれば勿論教養のうちだ。
英語を話せる分、読める分、それだけ自由の枠が広がる。特に英語は、現在世界の標準語になっているから。
(字数の関係でカット 2009年11月22日)
11月22日(木)
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