ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4081, 閑話小題
湯布院が期待していた以上であった。時代劇の映画に出てくる隠れ里のような山里にあった。個性的な店が多く出ていた。
料理屋に小物や民芸品を売っているのが何ともセンスがよい。若い女性や若者だけでなく、あらゆる年代の人が楽しめる。
映画セットの中にいるような感じがした。30数年前の軽井沢の旧軽通りに少し似ていたが、湯布院のほうがゆったり、
ほのぼのとした感じで好きだ。
 二回目が、盛岡、札幌、函館の視察であった。メンバーはほぼ同じである。これも楽しい面白い旅行であった。
札幌の郊外の丘陵地帯にある芸術をモチーフにした公園には驚かされた。いま考えてみると、バブルの一現象だったのだろうが、
広大な敷地とモチーフが何ともいえない安らぎを与えてくれた。函館の観光をモチーフにした街つくりも素晴らしい内容であった。
石原裕次郎をモチーフにした館とか、ガラス細工専門店とか、年中クリスマスグッズを売っている店があったり、寿司屋がところ狭しと
並んでいる街とか、楽しいのだ。この旅行で芸術家数人に向かって、「芸術家なんて気取っているけど、所詮は物を作る芸人だろう!」
と酔って言ったらしい。ところが芸術家たちが、その言葉にいやに納得くしていたとか。
・・・・・・・
2002年05月28日(火)
 420,世間とは
「西洋でいう個人が確立されてない日本では、社会は存在していないのでないか?」という疑問が以前からあった。
その代わり存在するのは、噂と悪口からでお互い牽制しあう「世間」である。阿部謹也の「世間とは何か」という本を
立ち読みをして、思わず納得した。現在国際社会で日本が冷笑されるのも、もともと日本では存在していない国際「社会」
の中で、常に世間という日本社会を外に出してしまう為である。勤めとか事業で、いろいろの地域社会をみてきて
漫画的な社会?構造に驚いた。世間様の存在と、それに対するペルソナー仮面を付けて、全員して演技している滑稽さである。
それは社会というより、群れという感覚でありその統制は噂と恥の文化である。 ある作家がある部落に住んで、
その滑稽を「気違い部落」という本で著した。それが売れると、逆に気違い?にされ村八分にされてしまった事が、
話題になったことがあった。世間に属さない他者は今の日本では人であって人間でない、と先ほどの「世間とは何か」
に書いてあった。  その地域の集り坊主とか、地銀とかに勤め、支店長あたりになる。そしてその地域の噂社会の中で、
よい人を演技する?のが、「世間を渡る」という世界。この世界で、個人として真っ当に生きるには、強靭な意思と主体が必要だ。
結局それを殺ぎ落とさないと、生きていけない社会でもある。
そして自分とは何かを死に近づいて考えて、気づく?世間に縛られた小さな一生を、その時初めて悔やむ!
世間とは、幻想社会という事を! 日本の島国的特性そのものだ。
   (字数の関係でカット 12年05月28日)

05月28日(月)
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