ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4044, 一時停止 ー4
 この世界に持ち込んできたものへの感謝。 自己の唯一無二性への感謝。たとえいまから100万年経ったとしても 
 自分とまったく同じ人間は現れない。自分と同じように世界を眺め、同じように反応する人間はいない。
 感謝の種は尽きない。「感謝の筋肉」を鍛えたことがない限り感謝をすることはできないのだ。
 「もっと」というゲームをやめて「もう足りている」というゲームをはじめよう。
・人間は内部に大きな力を持っているが、その使い方には無知同然である。
 真の力は、真の自己を知り、世界のおける自己の立場を知ることより生まれる。
  ー感想
(2012年04月21日 字数制限のためにカット)
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2003年04月21日(月)
 747, 散る桜残る桜も散る桜ー2
ー雨中の花見
 昨日、散歩がてらの悠久山の花見に行ってきた。毎年のこの時期の恒例の一人花見である。もう十年以上続いている。
他の場所はどうか解らないが、長岡は4~5年に1度があたり年である。季節の微妙なバランスが影響しているのだろう。
今年は例年並であったが、満開時期に雨が続いたという点で外れの年と言ってよいだろう。
 午後一番に悠久山に向かって出発したが、小雨がダンダン大粒の雨になり、丁度悠久山の参道に到着したと同時に
大雨になってしまった。いまさら帰るわけにもいかないし、とりあえず瓢箪池に行く。それでも、いろいろな団体が
テントの中で「やけ花見?」をしていた。雨が桜にとっての天敵ということが散歩をしていて解った。
それまでは大風と思っていたが、雨も桜の花を叩き落してしまう。最近の桜では6年位前に2~3年に大当たりが続いた。
その時に早朝、悠久山で写真を撮っていると、中年の男の人が話しかけてきた。「自分はこの近くに住んでいるが、
これだけの桜は初めてだ!」という。それだけすばらしい桜だったのを憶えている。
ここで桜を見ていると、子供の頃家族で夜きたことを思い出す。参道の両側に多くの屋台がならんで華やかな雰囲気であった。
もう50年も前のことだ 花見こそ一期一会である。吉野とか京都の名所のあたり年の桜は、魂を吸い取ってしまうのだろう。
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2002年04月21日(日)
 383,チンパンジー
TV のドキュメントや本などでチンパンジーの生態の研究が面白い。人間そのものである。まずはその社会、ボス争い。
彼らの社会は厳格な序列が決まっていて、常にその力関係の争いと緊迫が漂っている。特にボス争いが熾烈である。
また2番手3番手の力バランスが、人間の政争とそっくりである。鼻が詰まった時など鼻の穴に小枝を入れ、
くしゃみを誘発したりもする。蟻の穴に棒を入れ蟻を抜く行為もする。 ボスのいない隙に浮気をしたりもするし、
子供期の遊びと虐めも人間とほぼ同じ。嫁いびりや集団リンチなどもある。京都大学の霊長研究所の代々の名物教授が、
数十年にわたりその研究を続けている。その内容がいろいろ出版されている。またTVでそのドキュメントを数年に一度づつ
放映している。今アメリカの研究所で、チンパンジーの一番人間に近いボノボというチンパンジーの研究が進んでいる。
数回そのドキュメントを見た。 言葉の研究やゲームの姿を見ていると「人間との差は何処にあるのだろう?」
と考えさせられる事がある。日本でもアイコという雌チンパンジーとその子供の研究がすすんでいる。
今ではヒトを「第三のチンパンジー」と呼ぶべきという動物学者も出てきている。
人間は狂ったチンパンジーパンジー(猿)というが、言葉を持った猿の欲望の無限の拡大のなせる業か。

04月21日(土)
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