ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3985, 生保に入るバカ、入らないバカ ー2
セールスの機能を保険会社の代行ではなく、顧客の代行と切り替えたのである。
(字数の関係でカット2012年02月22日)
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2003年02月22日(土)
689, 人生の「かたち」
ーいやなことはやらない!
51歳になった年に、母を見送り(88歳で死亡)、下の子供が大学に入学。
事業では新潟駅前で500室の客室数の完成で、人生の丁度目安がついた年ー人生の分岐点の年であった。
その時に、「好きな事をやり、厭なことは可能な限りやらない」という方針をたてた。
ところが同じような記事が産経新聞に出ていた。哲学者の中島義道氏の文章で
ー私流人生の「かたち」ーの{「厭なこと」はなるべくしない}であった。
きしくも、私と同じ歳で、やはり6年前に決心したというから不思議なものだ。
ー私よりずっと徹した内容で、人生を半分降りようと決意したという。
・社会的成熟を拒否し、世間体を投げ捨て、どんなに嫌われようと、排除されようと、いやなことはなるべくしない
・親戚とか友人の冠婚葬祭は一切省く、大学の校務はギリギリ最低限のことしかしない。
−5年前と2年前に亡くなった両親の法事にも一切参加しなかった。
・自分の実感から離れる社会的慣用句(「世間語」)を語る事を完全にやめる。
−感謝してない時は「ありがとう」といわない、心のそこからそう思わない時は「おめでとう」と言わない。
・あまった膨大の時間、18歳の少年のように「生きるとはどういうことなのかな〜。
まもなく死んでいくとはどういうことなのかな〜」とか考えている。
・楽しいかといえば、全然楽しくはない。むしろすざましく不幸である。しかし、自分の人生のカタチと諦めている。
(字数の関係でカット2011年02月22日)
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2002年02月22日(金)
339,笑う人
ベトナムに行った時に出会ったバスのドライバーという人。旅行の最中、ほとんど笑いっぱなしであった。
あるいは人を笑わせていた。お笑いの芸人も2種類いるという。普段の生活の中で「全く笑わない人と、笑いっぱなしの人」と。
その人に「如何してそんなにわらえるのか?」聞いた。「母親が何時も笑っている人で、その影響だ」という。
職業が「観光バスのドライバー」というから、それに磨きがかかったのだろう。ハワイに初めて行った時のバスのドライバーが
ポパイにそっくりな顔」をしていた。そして初めから最後まで運転しながら、ニコニコ鼻声で歌っていた。
こんな陽気な笑いは、かって見たことが無くハワイにピッタリであった。あそこまでは無理としても、訓練すれば半分は可能な筈だ。
土壌と、また特に母親の影響が大きいのだろう。子供は何らかの形で両親の分身なのだ。会社に毎年新人が何名か入ってくる。
研修を終えて恒例の歓迎会が毎年楽しみである。若い女性が研修から解放され、「純粋な笑いの渦」にその会がなるからだ。
知人の数名もそれを知っていて、招待されるのを待っている。ちょうどこんな感じである。 ー(^
02月22日(水)
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