ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3715, 閑話小題 
広大な敷地とモチーフが何ともいえない安らぎを与えてくれた。函館の観光をモチーフにした街つくりも素晴らしい内容であった。
石原裕次郎をモチーフにした館とか、ガラス細工専門店とか、年中クリスマスグッズを売っている店があったり、
寿司屋がところ狭しと並んでいる街とか、楽しいのだ。
この旅行で芸術家数人に向かって、「芸術家なんて気取っているけど、所詮は物を作る芸人だろう!」
と酔って言ったらしい。ところが芸術家たちが、その言葉にいやに納得くしていたとか。
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2002年05月28日(火)
 420,世間とは
「西洋でいう個人が確立されてない日本では、社会は存在していないのでないか?」という疑問が以前からあった。
その代わり存在するのは、噂と悪口からでお互い牽制しあう「世間」である。阿部謹也の「世間とは何か」という本を
立ち読みをして、思わず納得した。現在国際社会で日本が冷笑されるのも、もともと日本では存在していない国際「社会」
の中で、常に世間という日本社会を外に出してしまう為である。勤めとか事業で、いろいろの地域社会をみてきて
漫画的な社会?構造に驚いた。世間様の存在と、それに対するペルソナー仮面を付けて、全員して演技している滑稽さである。
それは社会というより、群れという感覚でありその統制は噂と恥の文化である。 ある作家がある部落に住んで、
その滑稽を「気違い部落」という本で著した。それが売れると、逆に気違い?にされ村八分にされてしまった事が、
話題になったことがあった。世間に属さない他者は今の日本では人であって人間でない、と先ほどの「世間とは何か」
に書いてあった。  その地域の集り坊主とか、地銀とかに勤め、支店長あたりになる。そしてその地域の噂社会の中で、
よい人を演技する?のが、「世間を渡る」という世界。この世界で、個人として真っ当に生きるには、強靭な意思と主体が必要だ。
結局それを殺ぎ落とさないと、生きていけない社会でもある。
そして自分とは何かを死に近づいて考えて、気づく?世間に縛られた小さな一生を、その時初めて悔やむ!
世間とは、幻想社会という事を! 日本の島国的特性そのものだ。
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10年前書いた文章です。
 ーH0407城下街小唄ー
 私の出身地の長岡はかつて“長岡藩”の城下街であった。その大手通りのほとんど真中に生まれ育った事もあり、
その長所・短所がよくわかる。その特質は閉鎖性・固定的、商人的であり、“城下街曼陀羅”がきっちりできており
漫画的ですらある。彼等の社会は“ウワサ社会”で構成されている。
(字数の関係でカット 11年05月28日)
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2001年05月28日(月)
 [34] 糸井重里サイトを見て感じた事
糸井重里の「ほぼ日刊糸井重里新聞」を二年前にホームペジを開いて、現在1日二十数万のアクセスがあるという。
ちょっとした新聞社なみだ。開いてみたがなるほど面白い! ホームページ作りより、自分自身のインターネットに対する
感覚が変わってきている事がわかる。考えてみたら1度ホームページに載せたら、そのデータは半永久的に残る。
ホームページは墓場と言っていたが、そのとうりである。永久に残るデータベースである。
糸井重里本人が「不思議な感覚」と言っていたがわかるような気がする。

05月28日(土)
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