ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3209, 年金支払い総額 1400万
体力あるうちに先手を打ってやるべしということだ。 先行きはもっと悪くなるのは自明のことだ。
こういう時代は知恵を絞って乗り切るしかない。 この数年は負け組みの最後の整理が控えている。
・・・・・・・
2002年01月17日(木)
303、事業と難関
事業を始めると、必ずといっていいほど「身辺」に思いもよらない何かが起こる。
それと当然「事業そのもの」にも、想定以外のことがおこる。必ず難関が次から次に起こってくる。回を重ねるうちに、
そういうものだと割り切れるようなった。そしてかなりの極限に追い詰められた時、「これが今回の丁度ピークのそれ」と
冷静に受けとめれるようになった。そしてその二つが重なってくることが多い。 しかし経験とは凄いものである、
それが勘で解る。 ここを踏ん張っていると次の展開が出て来ると解ってくる。 従っていつの間にか、
その感覚がゲーム的になる。難関を一つずつ乗り越えていくのが逆に面白くなってくる。 それは付き物である。
これが一波、これが二波、これが三波と、そして「これが今回の一番の大波」?とうけながら冷静に対処していく。
一番の大波と感じた時は、これが自分の限界点に近いことがある。しかしこれ以上の波はないのも解る。
それが仕事というものだ。人生もそうか! 初めて事業を興した時、全ての問題がはき出た。
「そういうもの」ということが解らなかった。気持ちに余裕はなかった。
しかし親戚の同じ歳のナショナルに勤めていた人が遊びに来て、帰りにボロボロの姿を見て「羨ましい!」
といった一言が自分を支えてくれた。その人は今かなり出世をしたとか聞いている。
その人の弟の葬式に7〜8年前出会ったとき、「私は自己採点は80点だが、貴方はいくつか?」
と聞いたら、「93点」と言っていた。 人事系の仕事だから冷静な点数と思う。
・・・・・・
ー1月17日 1968年
午後一時にゼミに出席する。今までのゼミの反省と総括をする。
私の意見は「週2日を週一回にしたのが問題ではなかったのか?」
であった。全体的に同調されたようだった。 石川君と私の卒論の発表会的なところもあった。
その後ゼミの連中と飲みに行く。「嵯峨」から飲み始める。 下落合の助手の横浜さんの下宿の近くまで、
17時から翌朝の5時まで12時間も飲みまわる。その後数人で横浜さんの部屋で泊まる。
石川には、「その仮面を剥げ!」とかなり激しく言ってしまった。彼も私を辛辣に批判をする。
私のほうが過激であった。 あとで謝らなくては! 言いたいことを言ったあとで自己矛盾がおこる。
自分が解らなくなってしまう!
01月17日(日)
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