ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3076,120年の物指し
            ー藤村藤村の「初学者のために」より
なにか毎日[[随想テーマ日記」を書き続けていて、一番勉強になるのが自分自身である。
思っていることを書き出して、添削を続けていると心を書き出し、こころを添削しているような気になる。
小さな、ネジ曲がった自分がまず浮き彫りになる。そして、他人に見られていることを意識して書き直す。
その作業を通して、自分の心が添削されていくのが実感で解る。文章の上達は「量を書くことと添削しかない」
と立花隆が書いていたが、そのとおりである!添削は誤字や文の脈絡の捩れを直すだけでなく、その前提に
なっている自分の視線・視点を治す事だ。言葉が汚い自分はこころも汚い事と反省しなくてはならないが!
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人生は「自分が真にしたいことを見つけ、面白く生きること」これが秘訣だと両親の生き方より若いときから学んだ。
ものを書くことも然りと、田辺聖子の「いい文章を書くために」という随想に書いてあった。
「書きたいことを、面白がって」そうすれば、読む方もその人の本当に言いたいことに注目をするし、
面白がって読むだろう。文章も躍動感に満ちたものになるだろう。
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「随想はつまるところ自慢話」と井上ひさしがいっていたと、林真理子が書いていた。
なるほど、そのとおりである。 毎日書き続けていてそう実感する。「こんなことを知っているぞ」とか
「こんな経験したことがあるぞ」 とかだ。それでは外に何を書けといえばいいのか? 
やはりその類のことしか実際のところない。勝手に書いて、公開しているんだからと開き直るしかない。
何か書いている原動力が自慢話とは、それも面白いものだ。「毎回見ていただいてありがとうございます!」
いや「毎回自慢話を聞いていただき有難うございます!」

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2001年09月06日(木)
[135] 熊

「熊に追われ逃げてきた、そこに大きい池がある、その横に木が立っている、その向こうに家がある」 
さあ貴方はどうする。「木に登るか、池に飛び込むか、家に逃げ込むか?」
 木は理想。 池はセックス。 家は-実家ー昔の思い出ー
ー木に登りしがみつき、池に飛び込み溺れ、家に飛び込み熟睡,でもすぐ飽きてしまう。
これが人間の姿だ。熊は何かーもちろん現実そのものだが、自分の影か父親か。
この質問を第三者にしてみると本当に面白い。そのものずばりだからだ。
この喩えを知っているためか、よく熊に追われる夢を見る。 「何処かの家の外に熊がいる、
いつのまにか家の一階にいる、そのうちドアの外まで来ている、どうしよう」というところで目が覚める。
どういう訳か熊に襲われる前に目が覚める。

09月06日(日)
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