ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2795.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・4
民間の工事もかなりの確率で談合と云われている。
設計事務所も設備とか建材とかで、メーカー指定をしてそこからはねる?
こちらもそれを解かっているから、見積もりを出す時指定外でもよいと
いって渡す。そういう関係・因縁がびっちり詰まっている世界である。
・・・・・・・・・・
ある時間の断片
11月29日 ー1968年
10時前に起床。 12時に学校に向け出発。川崎の約束を破ってしまった。
昼飯後、ゼミに出席。一回も口を開かなかった。どうしても自信がもてなかった。
それか、傷をつきたくない為か。 17時に終了。 帰寮後、食事をする。
21時から一時間、本を読む。 その後佐藤のところで酒を飲む。
一年後輩の間中のブーちゃんと議論伯仲する。
かなりいい加減なことをいっていたようだ。 明方の3時過ぎに就寝。
ー「今日のゼミについて」で考えたことー
ゼミで、個人主義と集団主義について、各自の意見を出し合って議論をした。
ホワイトのいう集団主義は「個人」を決して働かせない。
それは個人の創造性と個性と本質を見失う可能性が高い。
グループ活動は個人の水準を引き下げる効果が大である。
大勢順応を強要し、個人を否定し、創造的活動を破滅させる。
一般的にいえば、人間活動を妨げる制約を持っている、という意見がある。
個人主義においても、集団という環境に合わせて目標に向かっていく条件は必ずある。
反面、集団主義は集団であるがゆえに不可能を可能にする側面を持っている。
言葉の捉え方のニュアンスの差があった。
集団で鍛えられたものと、そうでないものとの差は大きいのは事実である。
それは個人の能力の差もあるし、個人の分析能力や統合能力によるだろう。
私も人間関係主義?によって流されて、自分の本質を見失っていた部分が大だ。
しかし今やその段階はすぎたようだ?
利己主義ー>集団主義ー>個人主義とである。
個人主義とは、帰属を決して集団に置かないことではないか。
個人に帰属を置くことである。自己の中に生きることである。
その時おきる集団との格闘により自己を獲得していくことだ。
そして集団に対しては協調をすることだ。「友人に対しても、相対する相手」に対してもだ。
それは寂しく、辛いものである。その葛藤の中でこそ個人は生長するものだ。
人間関係に捉われて自己の創造性や個性を否定することだけは、やってはダメだ。
その葛藤の中に本当の知識が現れてくるのだ。
ーーーーーー
−2003年11月28日記ー
ーこの35年前の日記を読んでー
あくまでも「今の自分」と「過去の自分」の話しだが、
いま読んでいても、真っ当なことを考えていたこと?に驚いている。
いまの自分よりよほど筋が通っている。ゼミと武澤先生の影響があったためだろうか。
多くの友人と口泡を飛ばして議論を毎晩していたせいだろうか。
それとも一生の分岐点に立っていたためであろうか。
この日記がなければ全ては忘却の彼方である。
「忘却の彼方にいる自分の姿」に驚いている。
現在の方が、体験と知識量が数十倍いや数百倍も多いはずなのに。
決して現在の自分に劣っていない当時の自分がそこにいるのに驚きである。
当時は、経験量に対してのコンプレックスは全くなかった。
それだけの自信を全員持っていた。 裏付けもあったのだ。
その後も挫折を数多く繰り返す中で、自己喪失感の強い体験を何度もした。
全くの無能感、それも痴呆症的な感覚の呆然感である。
その中で、遙か彼方の自分が、これだけの文章を書いていたことに驚いている。
他人からみれば馬鹿みたいかもしれないが。
11月29日(土)
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