ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2600, 一点集中力
日本への他国の核攻撃に対して、アメリカそのものが核攻撃の危険に晒された時に
はたして核攻撃をするだろうか? それはファンタジーでしかない。
核所有国に囲まれたわが国が、最も核攻撃を受ける可能性の強い国だという事実を直視して、
どうすれば核攻撃を受けないで済むかを徹底的に議論すべき時にきている。
想起すべきは、第二次世界大戦を終わって55年間、 大国間で平和が保たれたこと、
その平和を日本はじめとする西側諸国が享受できたのも、麗しい平和のお祈りのせいではない。
核の均衡の上である事実を直視しなければならない。日本も自力でその力のバランスとして核を持つべきだ。

ーー以上が大筋である。
今の日本が真に独立するためには原爆保持が第一歩である主張に説得力がある。
現実にスターリン型の国家が近くにある事実を受け入れざるを得ない。

・・・・・・・・・
2002年05月17日(金)
409, いろいろな悩み

3年前まで20年近く中学の同級会が開かれていた。
3年間休み今年から再開とのこと。高校もしかり、本当にまとまりのあるクラスだ。

もう10年少し前の話だが、丁度、中学の担任の先生が定年退職の年だった。
そのときは、先生にとって至福の一年となるらしい。
受け持たれたクラス単位で、それぞれお祝いの会を開いてもらえるという。
湯沢の旅館で泊り込みでクラス会が盛大に開かれた。
そして次の日の夜まで、30時間延延と続いたクラス会になった。

長岡である女性がスナックを開いており、翌日の2次会はそこで行われた。
その時、たまたまカウンタの隣の席に座った先生が、浮かない顔で、俺の悩みを聞いてくれという。
先生「俺の両親が90歳と87歳、同居しており今もカクシャクとしている。
両方とも先生をしていた。別に自宅と別に、マンションを持っていて時たまそこに行く。
実をいうと、この年で実感として自分の人生が無かった。それが無念だ!本当に深刻の悩みなんだ。」

自分には、その先生の悩みが理解できた。父が亡くなった時、自分にとって溺愛してくれた喪失感が大きかった。
反面その時の家庭の事情等で、あと頼れるのは自分ひとりという精神的自立ができた。
丁度、千葉で事業の立ち上げの時期と結婚も含め、自分にとってタイミングが、
ぴったりであった事も確かであった。

親の死は子供に対する最大のプレゼントというが。
その要素も確かにある。その意味で、先生の悩みが理解できた。
でもその状態を「無念と考えるか最大の幸せと考えるか」もあるだろうが、本人しかわからない悩みだろう。

その数年後、両親が亡くなった。 先生に「実際亡くなると、違うでしょう」というと、
「いや何の悲しみも、喜びも感じなかった。やっと死んでくれたという気持ちと、ただ無念だけが残った」
といわれた。その先生も4年前に脳梗塞になり、東京の子供のところに引っ越していかれた。

   人生はいろいろある。



05月17日(土)
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