ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2331, 「ぼくの血となり肉となった500冊」ー2
学生時代に、父と禅師が親交があり、実家泊りに来ていただいた事等の因縁で、
六日町の禅寺“雲頓庵”に読書を兼ね春・夏休みになると滞在させていただいていた。
度々なので自然と禅師と話をさせていただく機会が多々あった。
無知と若さの為平気で生意気な質問をした私にいつも笑顔で答えていただいた事が、
今では懐しい思い出になっています。
@ (私) −禅とは一言で言うと何ですか?
(禅師) −字の通り天地宇宙に己の単(一人)である事を示す(気づく)事。
A 社会に出て半年あまりで気負いすぎで早くも行き詰まり、
五日間の夏休みでの雲頓庵の禅師との対話
(私) −世間と理屈は違う。
理屈どおりに世の中いかなという事がつくづくわかりました。
(禅師) −あなたの理屈がおかしいだけ、世の中は厳しくも甘くもない。
世間も理屈もあるものか!
(厳しく感じたのは自分自身そのものが甘いだけ)。
後者の時は頭を真二ツにわられてしまったというのが実感でした。
頭で物事を考えていた私が、“自分が”前に出ていた私が、
その時点でたたきこわされ、
社会人の一員にやっと一歩踏み入った瞬間でした。
ーS6307ー 人生は雷光なり
二人で二百才になろうという人の対談の中で、
過去百年をふりかえり、実感として“人生は雷光のようなものだ”
との内容に驚かされました。宇宙時間という観点で人間の一生は、
雷光のように一瞬である事はうなずけますが、
自身の事となるとまだまだ実感としてピンときません。
そこでマンダラで図解をしてみました。
・・・・
ーS6307ー 新井石龍禅師に学んだ事 −2
夜十時頃、一人で本堂より三百m先に入った禅堂で
坐禅のマネ事をしていた時の事。
我慢で時おり襲ってくる恐怖感に耐え、そろそろ本日の終了と思った矢先。
誰もいるはずのない堂内に何かの気配!
雲水に因縁めいた話を聞いた事も手伝い恐怖のどん底に落とされました。
私の人生で二回の超恐怖体験の一つでした。
大声を出し、逃げ出したいのをこらえ震える足で本堂にたどりつきました。
雲水と“医者の卵”と“弁護士の卵”と四人で、懐中電灯と棒を各々持ち、
恐々禅堂にその正体をたしかめに行ったところ、
猫位の大きさの獣物だったのです。
逃げられないように禅堂の戸閉まりをして翌朝に持ちこみました。
再び四人で棒を持ってその獣物の正体をたしかめに行ったところ、
何と“モモンガ”だったのです。
そこで“生け取り”と追いかけ回したのですが、
途中から反対に歯をむき追いかけられる仕末。
その時騒ぎを聞きつけた老師が我々の一人の棒をとりあげるや、
一撃でモモンガをたたき殺してしまいました。
その気合のすごさに本当に驚いてしまいました。
二十才そこそこの大の男が四人逃げまわっているのに、
九十近くの禅師が何のためらいもなくただの一撃!
私自身その時、合気道を三年近くやり、少し逆せていた時だけに、
その迫力にショックをうけてしまいました。
結局武道も禅よりみると枝葉でしかないのか?等々。
禅師の一面をみた事件でした。
08月21日(火)
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