ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2330, 「ぼくの血となり肉となった500冊」 
ー読書日記
         (`・ω・。)っノXXXXXXX>C 才ノヽ∋―

「ぼくの血となり肉となった500冊そして
       血にも肉にもならなかった100冊」ー著者 立花隆

昨日の「株価暴落の意味するもの」で引用したが、
この一ヶ月は隙間時間があると、この本を読んでいる。
彼の猫ビルにある3万5千冊の中から選んだ数百冊の本のミニ・ダイジェスト。
数行から数十行の内容がキラリと光っているものばかりである。
ランダムに面白そうな部分を抜粋しながら考えるに丁度良い。
『思索紀行 ぼくはこんな旅をしてきた』の続刊的な本である。

この本がキッカケで、彼の著書「エーゲ 永遠回帰の海」を買って読んで、
今年の旅行ははギリシャと決定した。更にウィトゲンシュタインの
「90分でわかるウィトゲンシュタイン」を買った。
彼の本は、読書のナビゲーターとして割り切って読んでいる。
まずは、彼の彼たる所以である特徴の部分から抜粋してみる。

 −−−
*フィクションからリアル世界へ
(P−64 )
立花: 小説などフィクションの世界は、ぼくにとってリアルな世界の外に
あるものなんです。
幻の世界は人間がいつでも作ったり消したりできる仮象の世界です。
しかし、リアルな人間社会の存在物のほうは勝手に消去できないじゃないですか。
そういう意味において、前者はもちろん後者も、「神様が作った被造物の世界」
のほうに属しているとぼくは思っています。
つまり二つの「リアルな世界」(自然世界とヴィーコ的人間社会の産物)は、どちらも
神様が作った世界、人間が完全コントロールできない世界といっていいと思うんです。
神様の構想力と想像力は、いい意味でも悪い意味でも
人間の構想力と想像力をはるかにこえた高みに達しているということです。

リアルな世界を取材して書くという仕事をつづけていると、取材が深まるにつれて、
前にはとても見えなかったすごい世界が見えてきます。
リアルな世界の極限部分は、あらゆる意味において通常の人間の想像力を
はるかにこえたところにあります。
ぼくの取材仕事の半分くらいは、科学技術の世界にありますが、
その世界でも同じことがいえます。極限部分は人間の想像力をこえます。
人間的世界の悪の世界においても、人間精神の高貴さの点においても、
あるいは数多の自然科学的世界の自然現象のパラメータにおいても、
あるいは人間が作った工学的世界のパラメータにおいても、途方もないものが、
この世の中に存在するというのが、リアルな世界の面白いところです。
極限世界を見る経験が積み重なるにつれて、ぼくの中で自然に、
フィクションの世界とノンフィクションの世界の間の価値の逆転が起きました。

 ーそれはいつ頃の話ですか。
立花: その逆転がいつどこで起きたのか自分でもはっきりしないのですが、
かつては、将来いつかフィクションの傑作を書いてやろうと思っていたのに、
あるときからそのようなことを夢想することが全くなくなりました。
いまは、作りものの世界より、リアルな世界のほうが何層倍も面白いと思っています。
しかし文春を辞めたばかりの頃は、寺山が書いてくれたオビに
「てっきり小説を書くのだろうと思った」とあるように、確かにぼくの心は、
フィクションとノンフィクションの間でゆれていたんです。
というよりは、むしろその間にあるもう一つ別の軸、先に述べたような、
「哲学的な新しい世界認識を得ることの誘惑」の間でゆれていたんです。

 ーしかし、ヴィーコなんていう妙な人のことをよく知っていましたね。
立花: ここで、なんでヴィーコの話が飛びだしてきたかというと、
この時期ぼくには次々に、もう一つの哲学的認識軸をめぐって
起きた新しい思想家との出会いがあったということを語りたいからなんです。
出会いのたびに、心をゆさぶられたというより、頭をゆさぶられる経験が
連続して起きたということです。
それはあるときは書物との出会いであり、またあるときは人との出会いでもありました。

ーーー

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08月20日(月)
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