ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2188, 宮城まり子 −3
参列して思うのは、その人の生き様がそのまま現れていることだ。
その厳粛な雰囲気がなんともよい。
その人の「魂と社会と世間がそのまま圧縮されている」といってよい。
人が一人亡くなるのは、その人の積み重ねた人生が無に帰ることである。
ごくわずかな身内の人達の心のこもった葬式が好きである。
それぞれの社会的なものもあろうが、今は生き残った人の体面の場になっている。
葬式もそれぞれの残されたものの価値観があるから、とやかくいう問題ではないが。
最近は葬式に出席すると、いつも遺影を常に自分の顔に当てはめて考えてしまう。
その目で会場の人達を見ると、何ともいえない気持ちになる。
「死んでしまえばお終いよ!」と。
・・・・・・・・・・
2002年03月31日(日) 362,ある思い出-慈善
中学の頃の話である。
隣にMという一家がいた。
そこに一歳年上のカッチャンという遊び友達がいた。
その家の裏に倉庫があった。
そこに乞食のような生活をしている親娘が住んでいた。
母親が肺病で、私のある姉にあの家の近くに近寄らないように言われていた。
カチャンの母親が気の毒がって面倒を見ているという。
カッチャンの父親は数年前亡くなり、母親とカッチャンとその姉と3人の家族。
今考えるとカッチャン一家は、その生活を維持するのに精一杯の筈だ。
その苦しい中、その親子を面倒見ていたのだから大変だったろう。
ところが彼女(母親)が癌で、なくなってしまった。
神も仏もあるものかである。
残されたカッチャンと姉さんは、おじさんと同居する事になった。
その肺病の母親もまた二年後亡くなった。
そして娘は施設に引き取られていった。
その事を今から20年前に、何かの拍子に思い出した。
そのMという人の心に気がついた。
どういう気持ちでその苦しい生活の中、その人を面倒を見ていたのか。
そしてその中で死を迎えた時の本人の気持ちは、いかなるものだったのか?
人間の一番大事なことは何であるのか? それとは関係なく、現実は非情に動く。
「愛は世界の中心である」という言葉がわかるが、反面本当かとも疑問が湧く。
人生で最後残るのは、そういう愛の行為か。
少なくともカッチャンと姉さんには、深く残っているのではなかろうか?
それとその娘の心に!
・・・・・・・・・・
<お笑い>
[殿の姉の死]☆☆☆
この小話は7〜8年前に仕入れたが、一番気に入っている1つである。
ーー
殿様と家老が話をしているところに家老の家来が緊急にと、
青い顔して耳打ちをした。
‘殿(家老)の姉ぎみが亡くなった’と。
家老はてっきり殿様の姉と、勘違いをしてしまった。
それを聞いた殿は、うろたえ城内は大騒ぎ!
しかし、その後家老の姉と判明した。
家老に殿は怒り心頭、
「無礼千万な!わしの姉を勝手に殺しおって、打ち首!」
と刀を振り上げた! その瞬間ハッとして、刀をしまった。
‘わしには姉がいなかった!’
03月31日(土)
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