ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■1983, 閑話小題
19世紀半ばからこの祭りが始まり、闘牛とか牛追いは途中から
その祭りに加わった。

ーユーラシア旅行社でいくと、市役所広場の
前の4階の部屋からファイナルギャザリングと牛追いが見れる。


4年前の「北スペインの旅」
−より抜粋ーの内容をコピーしておきます。
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・・・・その中で一番のハイライトがパンプローナの
“牛追い祭り”であった。延々8日間にわたって毎夜、闘牛が行われる。
その牛を毎朝、市役所から闘牛場へ、町中を追い上げる。
その前を街の若者が走って、度胸試しをする。死人が出ることがある
という。

我々が着いたその日が最終日の為、最高の盛り上がりであった。
その夜の闘牛もその為か異常な熱狂を会場にただよわせていた。
これこそ正しくスペインと思われた。

深夜の十二時に向けたファイナルギャザリングが、
一生の思い出になる感動的場面であった。
市役所前に数千の群集がロウソクを手に持って集まり、
ロウソクをかざしながら歌い踊るのだ。
彼らが心の底からパンプローナを愛しているのがよくわかるのだ。

民家の4Fの一室を借りて見たのだが、光の海を見ているようであった。
トランペットやバイオリン・タイコの楽団の演奏にあわせて歌を全員が
歌っている。
キリスト教で祭りを集団で祝うのはスペインだけといわれている。
イスラムとキリスト教が融合して、神聖かつ感動的・熱狂的なお祭り騒ぎ
なのである。

このような宗教的感動的場面に出会ったのは初めての経験であった。
この場面に出会っただけでもこの旅行は充分の価値があった。
一生の心の財産になった。

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2001年09月07日(金)
[137] ピラミッド

「ピラミッドに登る人、途中で休んでいる人、オアシスにいる人、小さなピラミッドを
造っている人、ピラミッドの盗掘をしている人、駱駝で荷を運んでいる人、」

これは社会を例え話で解りやすく説明したもの。

ピラミッドは会社・組織を喩え、小さなそれは事業を起こそうとしてる人。
オアシスはノッケカラそれを捨て、人生楽しんでいるアウトサイダー。
荷を運んでる人は、その全てのサービスに徹してる人か。

20代前半からもちろんこのことは解っていた。

普通の人から見れば、社会構造を冷静に見据えていたようだ。
卒業する前から、ピラミッドに上る意思は全くなかった。

「立場があってそれも仕方ないのかな」とぐらいしか考えてなかった。

卒業の前年、石川播磨の造船所にゼミで見学に行った。
ショックであった。
タンカーに数百人が張り付いて働いているのを、上から見るのだ。

要するに組織の中では個人は小さな存在でしかない。
反面組織化すれば、これだけおおきい仕事ができるのだ。

その時の私の反応は「ボートでいいから海の中で自由に生きたい!」であった。
ピラミッドに必死に登り、突然ピラミッドから排除されミイラ人間になったり、
自殺したり、転げおって死んだり。

オアシスの何かも知らなかったりする。
単色の人生さえ気づかなかったりする。
もっともオアシスの人は、ピラミッドの広い視野眺めの素晴らしさが解らない。

それぞれの立場を、たとえで一瞬で見たことは一生忘れえぬ印象でのこった。


ーこれに似たたとえは‐大型船の船員か、小型線の船長的生き方か?
大型船は遠い海原を航海できる、反面その役割以外の事が出来ない。
小型船は自由に、全ての裁量が可能の反面、枠が決まってくる。
本人の立場と特性で決まってくる。

09月07日(木)
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