ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■7895,閑話小題 〜:年内に一騒動ならば、それ何…
≪・アドラーは仕事の課題、交友の課題、愛の課題という人生には避けては通る
ことができない課題がある、という。これらの課題を解決する能力がないと
考える人は、なんとか理由を考えて、人生の課題から逃れようとする。
・アドラーが「劣等コンプレックス」という言葉を使う時、次のような意味と
して使っている。すなわち、「Aであるから(あるいは、Aでないから)、
Bできない」という論理を日常のコミュニケーションの中で多用するという
意味である。このAとして他の人がしかたがないと納得しないわけにはいか
ない理由を持ち出すのである。
・神経症はこの劣等コンプレックスに他ならない。人生の課題を前に直面しよう
としなかったり、「ためらいの態度」を取って立ち止まる。「はい〜します、
でも、(yes...but)といって、結局課題に取り組まない。神経症に限らず、
人は意識しなければ、すぐに「でも」といってしまう。
<何かをしようと思う、しなければならない、「でも」と…>
・カウンセリングの時、あまりに頻繁に「でも」という人があって僕はその人が
「でも」というたびにカウントすることにした。本人はそのことを意識して
いなかったからである。やがてこんなふうにいわれるようになり、次第に
この言葉が用いられる回数が減っていった。「まだ今日は一度も『でも』と
いってませんから、一度だけ『でも』といわせてください」
・人生の課題に挑戦する時、失敗すること、敗北することを恐れる人は、課題
から退却しようとする。何をする時にも必ず成功しなければならない、と考え、
成功するという保証があれば挑戦する。しかし失敗が少しでも予想され、
成功することが確信できなければ最初から挑戦しようとしないか、失敗しても
そのことによって致命的な打撃を受けることがないように、いわば綱渡りをする
人が転落することを予想して下にあらかじめ網を張っておくようなことをする。
症状はこのような目的のために創り出される。
・人生の課題を前にして敗北を恐れる人は、課題に挑戦することを回避する
ために時に神経症になって、「足踏みしたい(時間を止めたい)」と思う、
とアドラーはいう(『人はなぜ神経症になるのか』)。
――
▼ 上記の「カッサドラの叫び」しか上げない人に、マイナーな視点の話題を
ふると、大きく首を振り、どんどん話が進む。何処にも、『内幕情報屋』が
存在して、ネタを探し出して人の懐に飛び込む。それが、万引き、置き引きと、
同じくらい、いや、それ以上の犯罪行為でしかないことを知らない。
で、その毒は、喜んで聞いてしまう方にも、同様に罪になる。誰もが持って
いる要素だから始末が悪い。
――――
2003/11/25
965, 悪口についての一考察
悪口については、随想日記の中では何回も書いている。
しかしテーマにしたことは無い、一番イヤなテーマであるからだ。
昨日、新聞を見ていたら‘メジャー’ヤンキ−スの松井は中学校二年生以来、
悪口を言ったことがないという。(所詮は勝ち組が言っているから注目
している部分もあるが)
それでは「私の場合は如何だろうか?」と考えてみた。
本音でいうと
可能な限り言わないようにしている。その為には嫌いな人のいる場には
極力行かないようにしている。例えば、ライオンズとか商工会議所などである。
痴呆名士志向の子狐的人間である。 地方で頑張っている人はこういう
傾向が強いから始末が悪い。自分より肩書きや収入が多い人間には媚び
へつらい、下の人間には尊大な人だ。 仕方ないのは解っているが。
「お前の姿でもある」といえば、そうかもしれない。
人間にとって自分は善人であり他人は悪人なのである。
自分を理解しろと必死になるが、嫌な人を理解しようとはしない。
それは、怠惰という無精者に過ぎないことに気づいていないからだ。
〜辞典には
ー悪口は「他人について、劣っていると(事実に反し、また実際以上に)
いう言葉」とある。
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10月30日(日)
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