ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■7698, 閑話小題 〜大相撲も、今日、千秋楽
着付けをしたと思われる。当地で数組の芸子らしき連れが歩いていたが、直に、
観光客の「芸子コスプレ」?と気づいた。しかし馬子にも衣裳、派手な和服の
若い女性が妙に色っぽく場に馴染んでいた。
ネットでひろった写真の芸子は、金沢美人の典型だが、勤め先の女店員の
3分の1は、この程度の美人が揃っていた。当時の写真が一枚も存在いないのが
悔やまれる。私の年代は、戦中、戦後の境目。同じ年代でも、男は数年後の
団塊世代の女性が有り余っているが、女性は終戦直前のため、対象の男が極端
に少ない。特に当時の城下町は、隠れた男尊女卑の文化が浸透していたようだ。
無役が故の気楽さと、加賀百万石の大らかさが相まって、ドップリと粋ある
美人に囲まれ、鈍よりした女社会の生温かさに浸った日常を過ごしていた。
それと、様々な小料理屋や、おでん屋の酒の味を思いだしていた。世間を渡り
歩いてきたと思っていたが、底辺の一部しか、みてなかったことも、あい知る
ことになった。 花街とは、裕福の男の3%の遊び場の名残りということ。
何時も、極限の先に、大きく世界が広がっていた。 金沢、娑婆娑婆の一節!
〜【金沢・茶屋街】で検索すると〜
<江戸時代、城下町近郊を流れる犀川・浅野川両界隈に多くの茶屋が立ち並んだ。
文政3年(1820年)、加賀藩の許可を得、犀川西側に「にし」の茶屋町、浅野川
東側に「ひがし」の茶屋町が共に開かれ、大いに賑わった。この際、旧来の不整形
な町割は改められ、整形な街区が形成された。浅野川をはさんで北西には、茶屋街
の1つである主計町がある。
茶屋町創設時の敷地割をよく残し、全国でも希少な茶屋様式の町屋を多く残して
いるとし、2001年11月14日、種別「茶屋町」で国の重要伝統的建造物群保存地区と
して選定された。二番丁にある茶屋「志摩」は、歴史的価値が高いことから2003年
12月25日に国の重要文化財に指定され、一般公開されている。>
――――
2001/12/21
[178] 忘れられない店ー4(金沢)
ー平家ー鉄板焼き
金沢にいた時期によく行った店である。もう30年も前の話である。
4〜5年前に行った時まだっその店があったが、しかし個性的な親父は死んで
しまっていた。その店のかみさんがそのままいた。高級化して二店になっていた。
落人焼きといって、何でも鉄板で焼く鉄板焼きやで‘平家’というだ名前の店だ。
今でもちょっとないかわった店だ。食塩の箱入りとともに、キャベツが山盛りで
ツマミにでる。大きい鉄板の上で魚や肉や野菜や豆腐を焼くのだ。その為店が
油でギトギトで真っ黒で、またそれがいい。親父が遊び人風の個性の塊のような
親父で、その話を聞いているだけでよかった。
当然お母ちゃんがいて、人間味あふれた夫婦であった。2時間ぐらいいるうち、
必ず大喧嘩をするのが名物で、皆それが始まるのを待っている節があった。
「マダ喧嘩始まらないの?」と聞く人が出る始末。そしてすざましい喧嘩である。
たまに奥さんが休みの日、一人ショボンとしているところがまた可愛い。
何回も家に電話しているのだ。たまたま初めて行ったのは、会社の先輩が競馬で
大あてをして連れていってもらったのだが、「お前の人生は今日で終わりだ、大穴
を当てた味を知ってしまったのだからだ!」と先輩に説教が始まった。
それがいやに説得があって面白かった事を思い出す。
・・・・・・
6221,閑話小題 〜 つれづれに春
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5124,閑話小題 ーボンヤリも悪くない
2015年03月26日(木)
* つれづれに 〜ボンヤリしながら
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4759,挫折と悲哀こそ、人生のパスポート!
2014年03月26日(水)
ーひと言でいいのですー吉川直美編
* 挫折と悲哀こそ兄弟との共感のパスポート
人生で、何も挑戦しないで、挫折も悲哀も味わったことがない人が思いの外
に多い。それも人生だが、ポッキリと折れてしまう危険がある。その時に立直る
に大きなエネルギーを要することになる。秘境ツアーの中に、こういう人を
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03月27日(日)
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