ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[384822hit]
■7643,閑話小題 〜ロシアと台湾、中・露の正体が見えてきた
と思うような購造になっています。しかし、だからこそ、稽古を積み重ねた
結果いい音が鳴るようになります。同じことは身体という「道具」にも当て
はまります。つまり、身体が完全でないからこそ、ワキとしての道、
人としての道を歩んでいけるということです。・・ ≫
▼ 現代の「お道具」といえば、パソコン(スマートフォンを含む)とネット。
今ではウェアラブルPCという道具と身体が一体化したものが出始めた。
その道とは、アプリであり、予め完成されている。その意味からして、「お能」
の世界は時代の流れの真逆。だからこそ、そこに、「あわい」の必要性が出る。
文化度が高いフランスのレジャーで、長期休暇は、リゾート地で長閑に、
時間を過ごすこと。ただ、ただボーッとするのが贅沢という。で、痴呆症が
多いというが、それも「あわい」であろう。ただヒタスラ心も身体も休める。
それが御隠居の仕事である。それには、その暇を楽しめる知識と余裕が必要。
・・・・・・
4336, 自己とつきあうということ −4
2013年01月29日(火)
「自己の探究―自己とつきあうということ」和田 渡 (著)
ギリシャ哲学の初めのころから、己について考えていた哲学者がいた。
この文明の世でも、「自分」について考えようとしない人が多い中、
2500年前に、このやっかいな自分について考えていた。
そのギリシャは、現在、国家危機の崖っぷち。
* 古代の人間たちと自己の問題(ヘラクレイトスの驚きと戒め)
≪ 自己を問う試みは、ソクラテス以前の哲学者たちによってなされている。
なかでも、その試みを自覚的に遂行したと考えられる人物の一人は、初期
ギリシアの哲学者ヘラクレイトス(前五〇〇頃)である。彼が残したとされる、
「わたしはわたし自身を探究した」(断片一〇一)という言葉の背後には、
探究の視線を外部の自然から自己自身へと移し、自己の内に広大な探究の
次元を見いだしたヘラクレイトスの、自己への驚きが見てとれる。
彼にとって、自己は問われるべきものとなった。彼は次のようにも述べた。
「自己を認識すること、健全な思慮を持つことは、万人に許されている」。
(断片二六) その短い言葉を通じて、われわれが自己への関心、配慮を
ばねにして自己への探究を開始する存在であることが端的に示されている。
しかし、それを裏返せば、われわれは通常、自己を問題として受けとめる
ことは少ないし、思慮を健全に保つことからも遠い存在だ、ということである。
よきことを考えて生きることよりも欲情にかられよからぬ方向へひっぱられて
いきやすいのが人間である。それゆえ、彼は自戒の言葉を口にしている。
「欲情と戦うのは困難である。なぜなら、それを欲する者を魂[命]をかけて
購うから。放漫を消すことは火災を消す以上に急務である」(断片四三)
ヘラクレスは、人間がしばしば欲情の虜になり、とりかえしのつかぬことをしで
かしたり、放漫、不遜になって、他人に不快感を与える存在であることを見抜いた。
人間は思わぬ仕方で壊れやすく、健全を失いやすいがゆえに、それに抗するため
にも、よく認識し、思慮を健全なものに保つようにしなければならないと考えた
ようにみえる。彼が認識したことは、自己を壊すものから、自己を防御し、
自己をよく整えるための自己認識であった。・・・≫
▼ 古代に、「わたしはわたし自身を探求した」とは、驚き。
その頃から現在に至るまで、その問いが繰り返されてきた。まずは、他者と私、
そして、自己対話をする内なる私と、分裂した私。それより、今過ぎ去った
ばかりの己と、現在の己。 欲望に支配されている私と、それを見ている私。
ギリシャ哲学を知るにつけて、人間は二千五百年も考え続けてきたわりに、
殆ど進歩していないというより、後退しているとも思える。いや、西洋的進歩
という言葉自体が疑問である。それが構造主義につながっている。大きな節目
には、それまでの自己が壊される。その中で、破壊されてはならない核心は
守らなければならない。そのために、この随想日記で、「節目どきに」
[5]続きを読む
01月29日(土)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る