ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■7637,閑話小題 〜潜る能力
あれだけ戦争で傷ついた割には、恩恵を受けてない長年の苛立ちの蓄積が
あればこそ。こういう反動があって然るべきと…
・・・・・・
5062,貧・病・争と宗教 ー楽しく生きる一日一話 〜A
2015年01月23日(金)
< 本日「いいかげん」日和 一日一話 >ひろさちや(著)
* 貧・病・争と宗教
「解決するのではなく、そのままで幸せに生きることが宗教の功徳」と、
優しい言葉で、仏教の本質をズバリついた道理。それに気づくのが老年と
いうのが、私も含めて大方?。まず幸せであること。そのまま自然であれば、
何ごとも良い方向に運ぶということ。
≪一昔前まで、新興宗教への入信の動機は、― 貧、病・争の三本柱 ―
と言われていた。貧しい人が金儲けのために、病気の人は病気治しを求めて、
そして人間関係トラブルの解決を期待して、多くの信者が新興宗教の門をたたく
のだそうだ。しかし、信者になったら金儲けができるとか、入信すれば病気が
治るというのは、どうもインチキくさい。本物の宗教は、貧しい人は貧しい
まま、病人は病気のまま、幸福に生きる道を教えてくれるものであろう。
わたしは、宗教とはそういうものだと思っている。
ところで、貧と病につづく第三の争であるが、仏教やキリスト教といった
本物の宗教は、この人間関係のトラブルを解決してくれるのではないか…と
いった期待が大きい。つまり、簡単に言えば、仏教のまじめな信者であれば、
嫁と姑のあいだがうまくいくと思っている人が多いが、これは誤解である。
宗教は、人間関係のトラブルを解決するためにあるのではない。
嫁と姑が対立していても、対立したままの二人が幸せに生きることが
できれば、それでいい。宗教はそのような幸せを教えてくれるものだ。≫
▼ 「貧・病・争、そのまま結構!」が、宗教の本質? どの道、これらを
避けて通ることが出来ないのだから。逆の「富・健・和」も、現象の捉え方
でしかない。やはり宗教心は当然だが必要条件である。南無ぅ( ̄人 ̄)ちーん
即説咒曰 羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経 ーノー)o/"Ω
・・・・・・
4697,末期がん、その日のための予習を ー1
2014年01月23日(木)
ー「末期がん、その不安と怖れがなくなる日」樋野 興夫 (著)
怖しい本だが、いつ何時、「余命?ヶ月」を宣言される可能性のある年齢。
父の余命一年間の精神的、肉体的苦痛を目の当たりにしたが、この世から消え
去る恐怖と、生への渇望は、砂漠の中の彷徨い人のよう。いずれは通る道。
その時、父に聞きかじりの哲学の『死についての一考察』を話したことは、
何度か、ここで書いてきた。
【 本人にとって死は存在しない、あるのは自分以外の死だけ。何故なら、
死んだ瞬間、自分は無くなる。その当人が考えている死は、他人の死の
イメージで、亡くなった人にとって、死んだ瞬間、その自分は、消滅している。
だから、全て死は、それぞれの当人に存在をしていない云々』と話したところ、
ハッとして急に顔が輝いたことがあった。 死は何か? 死の恐怖の克服を如何に
すべきか?何故、自分が死ななくてはならないか?等の問いは、哲学の究極的問い。
いざ余命を告げられ、絶望に陥ってから、この類の本を探し当てるのは至難のこと。
哲学として死について考えること、身近な人を見送った手記や、医師と末期患者
との哲学問答などの本を読むことが出来るのは、今のうち。
『死ぬための生きかた』と『生きるための死にかた』という具体例に
取上げた本を読んだことがあるが・・それは生々しい!
まずは ーアマゾン〜内容紹介ー
《 一人の病理医師が‘期間限定’で開いた「がん哲学外来」。
評判が評判を呼び、全国に広がった。人は「死」を前にしたとき、「生」
の意味を考え始める。ここに生きるヒントがある。日本人の2人に1人はがんで
死ぬ時代、一人の病理医師が開設した「がん哲学外来」。医療が手放した末期の
患者に対し、生きる意味、死ぬ意味などを問うこの外来が大きな評判を呼んだ。
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01月23日(日)
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