ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■7353,閑話小題 〜風がないのに揺れる葉っぱ
悪臭や異音に鋭く反応しつつ成長し、身を守って生きている。このような
絶え間のない外界との緊張関係は、必然的に対極の「ぼんやり」へ憧憬を生む。
すなわち、「ぼんやり」は人間に生来備わった自然感情や心のあり方と見る
よりも、生物として必須条件である「対外緊張」を運命付けられた人間に
根差した”解放願望”として捉えられるべきであろう。
従って「木と共に過ごす」串田孫一、「湖畔の小屋を建て、畑を耕す」ソロー、
「隅田川の川面を眺めているうちに、あっという間に2時間過ぎた」池波正太郎、
「珊瑚や熱帯魚を求めてダイビングに浸る」玉三郎、「夏の夕暮れ時の樫の木々
に映える日の光に心を満たされた」ミッテランなど、どの登場人物も眩く輝いて
いる。彼らのどのエピソードも懐かしい幻想のように温かで、ユートピアの
ように心和ませるものがある。しかし「ぼーっとしながら生きる」のが好きと
いう深沢七郎の背後には片目失明の不自由をこらえて右翼暴力から逃げ惑った
日々が刻印されており、「林に入り黙座す」と「武蔵野」で詠んだ国木田独歩
には、帰れば妻との確執の絶えない実生活が待っていた筈である。
著者は自らの体験も含め、こういう人間の現実の生活を冷静に観察した上で、
「ぼんやりの時間」を持つことは実際には口で言うほど簡単なものではないこと
を熟知するが故に、だから敢えて「ぼんやりの時間」を人間にとってかけがえ
のない、貴重なものと見ている。本書に見られる「ぼんやり賛歌」は、大抵
の生身の人間には実現困難だという著者の苦い現実認識と、それでも尚、
人間らしく生きる上で我々が忘れてはならない理想願望がベースになって
いることを見逃してはなるまい。 】
▼ 欧米人のバカンスはリゾート地で、かけ替えのない貴重な時間をのんびり
過ごす。 日常を離れた自然の中で、ボ〜っとするのが、最高のレジャー。
日本には温泉宿で湯治で身体を休めるレジャーがあった。私のネックになって
いるのが、この随想日記と、ネットサーフィン。誰に頼まれた訳でもないのに、
毎日、これで自己達成をした気分にとらわれている。そうでもしないと自分を
支えていられない状況もある。偶然だが、去年の今日(4月2日)の文章は、
ノンビリしないで遊べ遊べというのから、この内容の意図に反している?
「自分の限界としても、還暦までに、やりたいことをやった!」という思いが、
ある。この時節も、ぼんやりなど、してはなかった。時節があるのだろう。
どの道、死んでしまうまでの精神のあり方の問題でしかない。
・・・・・・
4399, 隠居大学ーよく遊びよく遊べ ー1
2013年04月02日(火)
『隠居大学ーよく遊びよく遊べ』天野祐吉、お相手 御隠居
御隠居生活に予定より三年早く、二年前の65歳をもって入った。
しかし振り返ってみると、51歳から実質的御隠居生活に一歩踏み込んでいた。
同居していた母親が痴呆症になって5年半後に亡くなった後、数ヶ月間は呆然と
していたが、「今までの延長は捨て、50歳代に、その後の余生の全てを
遣り尽そう」という思いが湧き上がった。そして残り30年分の人生を圧縮して
生きようと決心をして、「思い浮かぶ限りの遣り残した事を迷わず優先的にする」
ことにした。 50代で秘境ツアーを中心に24回の旅行。美味い酒を飲む。
当時、まだブログが無かったので、パソコン教室に通い、個人HPを立上げて、
全エネルギーをかけ思い浮かぶことを毎日「随想日記」として書き続け現在に
至っている、これである。これが私の隠居生活の移行で、それを私自身も
気づかなかった。どれもこれも面白く、楽しくなければ続かない。
この経験から学んだことは、「御隠居は覚悟が無ければ出来ない」ということ。
傍からみたらつまらないこと?でも、遊び気分で全エネルギーで取り組んでこそ
道楽。これも毎日、よくぞ真面目くさって書いている。でも、私にとって面白い。
だから道楽である。 御隠居は道楽をもっているかどうか。たっぷりある時間を
遊べるかどうかである。 まずはー内容紹介ー
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04月02日(金)
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