ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■7026,閑話小題 〜数年後には様変わる社会
それからいかにして「治った」のかは、長い話になるので割愛する。
とにかく、私は門下の仲間たちとはよほど違って不思議なほど転び、蹟き、
滑りながら、哲学を続けている。といって、私は先生に普通の意味で
「感謝している」わけではない。私が駆け込み寺のように先生のもとに身を
寄せてから、本当に辛くきつい人生が待っていた。だが、私はこうしか生き
ようがなかったのだから仕方ない。先生との出会いも運命であり、私が哲学
を志すと「そこに」先生がいたのだ。 先生は私の恩師であろうか? 
いまさら「恩師」などと言えば、「私は中島君の師であったことなどない」
と切り返されるであろう。そうなのだ。私が先生を、一番煩わせた問題児で
あったとは確かであるが、先生は私の恩師なのではない。私は先生に哲学とは
こういうものだということを教えてもらったが、その後いまに至るまでその通り
のことをしていないのだから。だから先生は権威・権力におもねることを蛇蝎
のように嫌った。『哲学の教科書』がベストセラーになり、わずかの褒め言葉を
期待して勇んで病院に見舞いに行った時、「もう少ししたら何か言います」
と言われた。だが、何も言わずに死んでしまった。これもずっと後から聞いた
話であるが、私がウィーンから帰ってきて人より十年も遅れて駒場の助手に
なった頃、「今度帰ってきた中島という男は難しい所もあるが、どうか寛大に
見てくれ」と哲学仲間に訴えていたという。何も知らなかった。涙が出る思い
である。それほど気にかけてくれた先生は、物書き業に堕した私を許してくれ
ないであろう。魂が擦り切れるまで哲学をしていない私を軽蔑するであろう、
それが苦しいので、時折私は必死に叫んでみる。「私は先生とは違うのです、
こういう形でしが哲学ができないのです」そうしながら、「それでいいのだよ」
という先生の優しい言葉を期待する。だが、いくら耳を澄ましても何も聞こえて
こない。≫
▼ 何度も読み返えすたび、その都度、それぞれの青年期の節目の苦悩が蘇る。
 多かれ少なかれ、青年期には、各自が、似たような苦悩を抱えて苦闘するが、
いつの間に現実に同化してしまう。で、娑婆娑婆して、この有様! 色即是空

・・・・・・
2016/06/04
フーテンの寅の、本質と家族の幸せとは 〜@
 
 最近になって、『男はつらいよ』のシリーズの再放送を見なくなったが、
以前は再放送の度、何度も観ていた。もちろん48作の全部を観ている。
TVの再放送を含め平均3回を観たとして、150回は観たことになる。
特に浅丘ルリ子の、リリー役ものは、5〜6回以上は観ていた。この映画が
始まった1969年は、新社会人として、四日市、神戸、桑名と、転勤生活の中で、
家族の温みを寅さんの実家の団子屋の中に温みに求めていたようだ。 
精神分析医と、『男はつらいよ』の山田洋次監督の対談が、なかなか面白い。
  * 寅は「基底欠損」   <山田洋次:名越康文 対談>より
≪ 山田:寅は「人間というのはこんなにみっともないよね」という恥部も
 見せてくれる。自分が食る分のメロンがないというだけで、「どうせ俺はね、
 この家では勘定に入れてもらえない人間だからな」と言って大ゲンカしたり。
名越:有名なメロン騒動ですね(第15作『寅次郎相合い傘』)。『男はつらいよ』
 を全作観て、僕は寅さんの中にとめどないブラツクホールのようなものを
 感じました。寅さんを心理分析すると、99%は温かいものでできているけれど、
 残りの1%に、ダークマダーのようなものがギューッと凝縮されている。
 それは下手したら温かい99%を無にしてしまうようなすごい闇です。
「俺の気持ちをわかってくれ!」という精神的な甘えも強烈で、カッとして暴れる
 こともしょっちゅう。じゃあなぜ寅さんにこのような攻撃的なエネルギーが
 生まれるのかと考えた時、「基底欠損」という精神分析用語がハッと頭に浮か
 びました。幼い頃、親に甘えても受け入れてもらえなかった。おっぽいが十分
 に吸えなかったとか、抱っこしてもらえなかったとか、満たされるべき欲求が

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06月09日(火)
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