ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6968,閑話小題 〜零細業現場の生々しいレポートが
大きく変化している。特に、20歳代の変化は激しく、留まることはない。金沢に
いた頃の会社は、最後は吸収合併をされて、今は、何一つ残ってない。あるのは、
抽象画のような記憶だけ。しかし、これが自分の基礎に大きく根を張っている。
金沢に来たのだからと、能登一周の観光バスで一日一人旅をしたり、同僚との
東尋坊へのドライブに行ったり、早朝の金沢港でのキス釣とか、金沢駅前の居酒屋
で騒いだりとか、入社前の研修での永平寺の座禅とか・・・
ところで、東尋坊は北陸随一の景勝であり、自殺の名所としても知られている。
同僚から聞いたのが、自殺者の霊が管理事務所に尋ねて来たとか、断崖から下
を見たところ、多くの手が伸びてきたとかは日常茶飯事という。
せっかくの金沢なら、茶道でもと思いたち、同僚の女性の紹介で、寮の近くの
家に習いにいっていた。異様な緊張感が漂う中、来ている女性は、なかなかの
若い美人ばかり。週の火・木曜日の週二回のどちらかに行くが、これが心落ち着く。
それぞれの日で、来ている人が違うが、そこでの美人を見るのが楽しみになっていた。
ただ、それだけだが、金沢を急遽、去るにあたって、その事情を師匠に話すと、
「ところで結婚相手が決まっているの?」と聞いてきた。
「職場の女性以外に、チャンスもないし、同僚は付合わない主義で・・」と答えると、
「どっちの娘がいいの?」と結婚相手など微塵だに考えてなかったので、「別に!」
と答えたが、悪くはないが今さら時間が無い。考えてみたら金沢での伴侶の選定も
考えられた。 浅く広い、いちゃつきレベルでは、多くの思い出はある。
一番、惨めで、嫌なことばかりの日々の中にこそ、多くの心の痕跡がある。それが
青春ということか。人生は多くの出来事と、その記憶の重なりで出来ていて、
「自分」は、その蓄積そのもの。そうこう振返ると、創業準備期間の15年の方が、
創業以降の30年より、遥かにエネルギーが入っていたことになる。
結果が、どうであれ、野心を持って、ひたすら日々を過ごしていた20歳代が、
人生の醍醐味があったようだ。結果としてみて、20歳代は、非常に合理的配転を
自らしていたことになる。今だから言えるが、面白い日々だった。
――――
2014/06/03
「事業人生を決心して45年」の語り直しー6
金沢の16ヶ月でも多くを学んだ。特に印象的だったのが、新入社員教育の
ST訓練(センシビリティ・トレイニング)。社員教育の厳しさは、まずここから
始まった。 まる3日間、同期の男子17〜8名が、トレーナーの人事部長の元、
円座に座り、担当の人事部長に指名された二人が、聞き手と、答え手になり何か
質問をする。逆質問は、一切禁止で、質問の中心に向かい掘り下げていく。
曖昧になると、トレーナーが叱咤する。その逆に質問者と聞手の立場を変える。
ランダムに二人を取替え対話をさせる。他の人たちは、二人の対話から、
グループ全体が共通の無意識の内に入ってしまう。
ーそれについて以前書いた内容が以下である。
ー359, ST訓練 <2002年03月28日(木) >よりー
【 毎年この時期、新入社員に私が直接する訓練である。もう2〜3回の入社ゼロ
の年を除いて、前にいた会社も含めて26年間行っている年中行事である。初め
の頃は二泊三日で行っていたのがいたが、一泊二日になり、今では一日だけ。
研修所や旅館を使って密室状態であったのも、現在は事務所で行っている。
センシビリテー・トレーニングを、途中から独自に変えた内容である。当初は
感性訓練を目的としていたが。密室に新入社員を閉じ込め、それぞれ二人に問い
かけと、答える立場を決める。そして彼らにテーマを出させ、そのテーマに
ついてどことん聞き出させる。脇道にそれたり、いいかげんな事を言った時大声
で叱咤する。あるところまで来たら、立場を逆にする。それを密室の中で、繰り
返しそれぞれの相手を変えてやっていく。その中で自分のいい加減さ曖昧さを
互い気づかせ、表面的会話から、本音の会話へ、更に対話に深めていく。
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04月12日(日)
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