ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6458,閑話小題 〜「ババくささは伝染(うつ)る」
のウチにもまた「より狭い世間」があるというように、一種の入れ子のような
複雑な構造をもっている。問題なのは、「世間」は「共通の時間意識」をもつ
ために、「世間」のウチの人間にたいしては相互に「配慮」しあい「優しい関係」
をつくるが、「世間」のソトの人間は、人間だとは思わないという本質をもって
いることだ。つまり「世間」は「世間」のウチにいる者を「身内」とよび大切に
するが、ソトにいる者を「赤の他人」と排除する。公共性という概念が「世間」
に似ているのは、ある種の社会的強制力をもつからである。しかし「世間」が
公共性と異なるのは、「世間」がつねにウチとソトという区別をおこない、
「世間」の内部の原理がソトまで及ばないこと。さきほどの例でいえば、
「世間」のウチとみなされる町の駅はキレイに保たれるが、「世間」の目の
とどかない「世間」のソトとみなされる富士山の頂上では、この「キレイにする」
「ゴミを捨てない」という倫理・道徳は通用しない。日本は「旅の恥はか捨て」
というとんでもない格言があるが、これこそ、自分の「世間」のソトでは、
「世間」がみていないので、タガがはずれて「なにをしてもいい」ということを
意味する。 居酒屋で盛り上がっている人間は「世間」をつくっているから、
他の人間は「赤の他人」であり、人間だと思ってない。「世間体」とか
「世間の目」という言葉は、その内部だけで通用するのであって、その外では
まったく機能しないのである。花見でも同じで、世間はグループ内だけの話で、
他のグループには通用しない。最近若い女性が電車の中で他人の目を気に
しないで化粧するのも、自分の「世間」を離れたところの行為。≫
▼ ワールドカップで、日本人観客席が、帰り際に綺麗にゴミを持ち帰る
 姿が話題になったが、これも「世間」の特質の現れである。その世間が、
神様かわりをしているとしたら、三年前の節目から突然、私の前に現れ出てきた
神様気分の、あの連中をコミック的に思えたのは当然至極。これは、実際に経験
してみないと味わえない経験でもある。世間様世界は、面白い動物で満ちている。
とすると私は、珍獣?
・・・・・・
5361,うらやましい死に方 〜愛犬に見守られ
2015年11月18日(水)
          ーうらやましい死に方ー五木寛之[編]
 20世紀末に、文芸春秋に投稿された、身近な「うらやましい死に方」が
幾つか編集されていた。死に方は様々あるが、この中には、素朴な何処
にでもある死だが、何か心をうつ味わい深い死が連なっている。
「死に方」は、その人生き方に左右されている。「うらやましい」は、
あくまで受けとめる者の主観でしかない。そう思うのも供養の一つである。
昨日、兄の連れあいの御父さんの葬儀に参列したが、故人は穏やかな
人生を絵にかいたような人で、白寿をむかえて、ひっそりと亡くなった。
うらやましい生き方で、うらやましい死に方だった。 御冥福を!
  * 愛犬に見守られ    吉田達也(広島県三原市85歳)
≪ 近所のアパートに30年住む、独居老人が昨年暮れ心臓発作で他界された。
老人は年金生活者で、数年前に連れ添った妻とも別れ、我が子も訪ねてこない
孤独な一人住まい。愛犬を連れての散歩が唯一の楽しみであった。
近所付き合いもなく、愛犬と寝食を共にする生活であった。
 真夜中に急に苦しくなり、階下の管理人にすぐきてくれと電話する。
 管理人が駆け付けると、苦しい苦しいと胸を押さえて寝返りする。
愛犬は部屋の中を泣きながらぐるぐる駆け回る。主人の死を予感したのか
泣き声は悲痛であった。管理人は直ぐ近くの医師に連絡する。医師と看護師が
駆け付ける。診察の結果心臓麻痺で手のうちようもなく、死亡が確認された。
 その時の愛犬の泣き声がひときわ大きく、遺体に取り付いて離れようとしない。
周囲の人達は嘆き悲しむ愛犬の姿に、涙を拭うことができなかった。
 主入を慕う愛犬の姿に、親子以上の関係を見ることができた。
 老人と愛天とは十数年のつながりであったが、その後血のつながった我が子が

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11月18日(日)
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