ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6324,閑話小題 〜昨日は、中学校の同期会
の「ドーダ!」のことで、漫画家の東海林さだお氏の発明になる用語です。
 資本主義の悪弊であるところの「限度なき貧欲」というのは、じつは、
幸福の追求からくるのではなく、このドーダの追求にあるのです。
 このメカニズムを説明するのに、ジェイコム株の誤発注で十億円以上の利益
をあげたと伝えられる「ひきこもりディーラー」の青年を例に取りましょう。
青年はなかなか正直な人で、雑誌のインタビューに答え、「わたしは贅沢
なんてしたくはない。それに、金儲けをしていても苦しいだけだ」と告白する
一方、昨年来の大暴落では、おおかたの予想を裏切って「売り」で大儲けし、
資産を数百億円に増やしたと自慢していました。
 この青年をサンプルとして考えるとよくわかるはずです。人は贅沢をしたい
から、幸福になりたいから、利潤を追求するのではありません。むしろ、自分の
予想の正しさ、着眼の正当性を確認し、それによって「ドーダ、おれはすごい
だろう、天才だろう、まいったか!」と心の中で絶叫したいがために、とことん
利潤を追ってしまうのです。ひとことで言えば、現実の中の人というよりも、
想像力の中の人を相手にドーダしているのです。
 問題はここにあります。現実の人間が相手の場合、ドーダと喝采のやり取り
にはおのずと限りがあります。しかし、想像力の中の人間が相手では、ドーダと
喝采のキャッチボールには限度というものがありません。いくらドーダしても、
喝采はいくらでも続き、これでおしまいということはないのです。
利潤の無限追求が、贅沢がもたらす幸福感という点では限度があっても、ドーダ
においては限度がないのはこのためなのです。 ドーダ恐るべし! 
一度火のついたドーダは果てることがないのです。≫
▼ 著者は、ドーダが「自己愛に源を発するすべての表現行為」であり、
「想像力の中の人を相手にドーダしている」という。そうこう考えると、
世の中、こんな事で動いているのかもしれない。ここで、「ドーダ」を
「陽ドーダ」対「陰ドーダ」、「外ドーダ」対「内ドーダ」という
サブ・ジャンルに分類している。秘境・異郷旅行も、かつて同行したツアー
仲間に対して、「ドーダ、今度は、ここに来ているよ!」と、心の内で、
問答している? しかし、過剰な欲望ではない。その時に、考えられるだけ、
考えて決断した結果で、ドーダは、微塵もない。それがライフワークである。

・・・・・・
4862,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー30 
2014年07月07日(月)
  * 本来、この事業構想は正しかったのだろうか?  ー前半、終了ー
 この事業は、280室で駅前シリーズを終えた後に、郊外型ホテルへ切替えるか、
事業売却であった。そこで節目を作るのが、学生時代に構想した創業型事業人生。
それを作らなかったのが、三年前の結果に繋がった。1985年のプラザ合意直後
から生じたバブルと崩壊は、明治維新と、太平洋戦争敗戦と同じぐらいの大きな
節目である。アメリカの陰謀による経済敗戦であり、更に9・11テロ、9・15の
リーマンショック、3・11の東北大震災である。 それが私の事業にも直撃、
これまで深手になることを読めなかったのが致命傷になった。創業当初の
10年間で、ユデ蛙になったためである。「ご覧とおり、そのまま結構」である。 
これを書いて気づいたことは、創業時に転売した二ヶ所の土地が、実は郊外型
ホテルの立地だったこと。あの時に「もしか、ここがホテル立地?」という
想いはあった。しかし、新幹線開業した直後の上越新幹線最終駅前の周辺に、
執着するのも仕方がない?あと講釈としても、十年目に大きな節目を作るべき
だった。進むべきか、立止まるか、引くかのサイン?があった。 その時、
そのサインを読み違え、戦略を新潟駅周辺に280室から、500室の拡大
戦略をとってしまった。当時、大型チェーンの駅前などの繁華街店舗が急激に
衰退していった。その頃に、ペガサスでは駅前立地から本格撤収を指示していた。
事業構想は10年スパンか、駅前周辺300室内なら正しく、それ以上は致命

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07月07日(土)
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