ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4861,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー29
いかに未成熟かが歴然としてくるからだ。特にこの「反省」「内言語」の段階は幼児並みに思えてくる。
どうやらわれわれの大脳皮質は、前述した角田説の逆作用で、成長を停止しているとしか考えられない。
饒舌な内言語の会話が知性を磨く。連続的な自問自答である。われわれは内言語の失語症を起こしている。
だから「失理症」に陥る。主語のない「味言語」は、結局主観と客観の区別がつかない。
それが「無反省」、つまり精神の言語化、あるいはまた逆に言語の精神化を妨げる。 ≫
▼ 子供が、(自分)という言葉を持った瞬間から人間になるというが、そこから、自分に対するyouが出現する。
いや、youが(自分=I)を創出する。それが、動物と人間の境目になる。人間の記憶が、その辺から始るのは、
自分という言葉を語るからで、その時から人間は飛躍的成長が始る。また日記が人間の成長に大きな役割を果たすのは、
それを一度、ノートに外に出すことで内語を外語とする作業の中で考えることになるからである。サルトルの対自、即自である。
偶然だが、去年の今日、同じようなことを書いていた。 面白いものである。
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3014, 魂とは何か
2009年07月06日(月)
「魂とは何か」ー池田晶子著 −2
何度か魂については、ここで何度か取り上げてきた。
先日、「戒名は自分で付けよう」という本を読んで自分と、家内と、二人の息子の戒名を作ってみた。
そのためか? 近くの図書館で池田晶子の「魂とは何か」という本を見つけ借りてきた。池田は二年前に亡くなっているが、
この本は10年前のリメーク版である。ここで頭脳明晰な池田晶子が、魂となると歯切れが悪い。それもあってか、
この一週間は、「魂」漬け。 魂というと、「霊」と「私」「精神」「心」が浮かぶ。「心」は、TPOSで変化するが、
「魂」は「それを見守っている、産まれ、死ぬまで変わらない自分そのもの」。池田は、ヘーゲルなどの論を借りて、
〈魂〉は「考える」より「感じる」ものだと、「思考感覚」という。魂の表現を、無理を承知で言葉にしている。
《その一部を抜粋してみる。》
ーひょっとしたら「〈私〉が魂」なのでなく、「〈私〉の魂」という言い方もなく、「魂の〈私〉」に近い。ー
*この部分も鋭く、というより頭の底からひねり出している。
ー以前、誰だったか神秘主義者の本を読んでいて、ひとりの人間を構成するものは、「肉体と精神と魂」という
言い回しがあって、深く腑に落ちたのだったが、それは正確だろう。 肉体とは個別だが物体であり、
精神とは物体ではないが非人称であるなら、その人を他の人ではなくその人たらしめている当のものとは、
他でもない、〈魂〉ということになる。 なぜそれを〈私〉と、私は言わないのか。
〈私〉とは、おそらく、たんなる形式であろう。 あえて「たんなる」と言うのは、形而上的な形式と形而下的な内容とを、
思考によって峻別した時、そこに残る内容は、形式からみれば、なお不可解なままだからである。 内容のない形式とは、
論理としては可能であっても、思考が驚きによって始まったその振り出しへ戻れば、謎は依然として同じである。
すなわち、なぜ〈私〉は、この人間なのか。 なぜ〈私〉は、この人間なのか。 なぜそれを〈私〉と、私は言わないのか。
〈私〉とは、おそらく、たんなる形式であろう。あえて「たんなる」と言うのは、形而上的な形式と形而下的な内容とを、
思考によって峻別した時、そこに残る内容は、形式からみれば、なお不可解なままだからである。内容のない形式とは、
論理としては可能であっても、思考が驚きによって始まったその振り出しへ戻れば、謎は依然として同じである。
すなわち、なぜ〈私〉は、この人間なのか。なぜ〈私〉は、この人間なのか・・・ー
▼ 魂を明快に表現出来るなどありえない。それでも何度か読み返しているうちに、少しずつ、その中心に近づいていく。
我われは、大自然に触れたり、世界的な芸術作品をみた時に〈魂が振動した〉という。実際に私も何度も、いや何十回も経験している。
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07月06日(日)
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