ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4644, 一年で全米記憶力チャンピオンになれた理由 ー1
・「小説」は“文字によって記述された「物語」”と定義。「物語」は―古老が話す口伝や、御伽噺などのなさまざまな形式などの
“おはなし”。その違いは“その<おはなし>を伝達する手法が、文字表現に限定されているか、されてないかにある。
・ 基本的には、物語は「出来事の連鎖」によって成り立つものを指す。 
  聞き手の「それからどうした、それからどうした」という欲求をみたしていく性質を持っている。
  一方、小説の概念は近代以降のもので、単に出来事の連鎖に止まらず、出来事と出来事の間に
  相関的な意味のつながり(因果関係)が存在するように書かれたもの、といわれる。
  ーー
 以上だが、脚本家の山田太一は、その違いを
≪「誰かから聞いたかは忘れたが、『小説には人生があり、物語にはない』という定義が頭に残っている」とある。
「シンデレラ」や「白雪姫」が人生を語ってない、とはいえない。しかし、物語は人生の細部の現実を語ってはいない。
その代わり、ありそうもない話の楽しさがあるし、だからこそ込められている寓意も、端的な人生の要約もある。
一方、小説は「ありそうもない話」も、人生の細かな本当を積み上げて「ありそうな話」にしてしまう装置である≫と述べている。
我われは何らかのカタチで自分の物語を持っている。それを文章にすると私小説になるが、とすると、山田太一の言うことは微妙に
違ってくる。 誰にもそれぞれの人生があるからだ。そして、そのストーリーは、聞く人を惹きつける。 10年前のことだが、
80半ばの叔母が亡くなる少し前の法事の席で、《 私が一番悲しかったことは、戦時中に一歳の赤ちゃんを死なせたこと。
医院から死んだばかりの背負ったいる赤ちゃんの身体の温みが無くなっていくのが分かるの。辛かったわ! 》
彼女の一番辛かったことを最後に物語りかったのだ。 その悲しみが、そのまま伝わってくるようだった。
小説家は、そういう事実を重ねて小説を構成していくから、虚構の世界に引き込まれるのである。
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2799.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・8
 2008年12月03日(水)
【第7の法則】 何もしないことこそ、最大のリスクなのだ。
「みんな自分より賢いんだ。みんな自分より才能がある。みんな自分より背が高い。みんな私より髪の毛の色が綺麗だわ。
みんな私より可愛いわ。 みんな自分より運がいい。 みんなコネをもっているけど自分にはない…        
 (字数制限のためカット 2010年12月3日)
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2007年12月03日(月)
2434, 絞首刑 −1
 〔命の書〕「ビルマの日々」の中の一遍 『絞首刑』(G.オーウェル著)より  (*´з`*)<ォハョウサω♪        
死刑執行をリアルに書いてある本である。 そして執行する側の神経の麻痺、残酷さが恐ろしい。
行間から執行する側の微妙な心理が生々しい。何らかのカタチで「事実は永遠に残る」というのは肯かされる。
こういう瞬間こそ、「いま、ここ」の永遠性というのか。 オーウェルの、こういう切口は鋭く哲学的である。
どんな哲学者の「死についての考察」より余程、考えさせられる。 次々回は中島義道著「哲学の教科書」
の中の死刑直前の手紙を書き写してみる。 死の直前は、生の凝縮された時間になる。
ーまずは、その部分を抜粋ー                 
 われわれは五ヤードはなれて待機していた。衛兵たちは円を作るようにして絞首台のまわりに立っている。
やがて縄を首に巻かれた囚人は、自分の神に向かって大声で叫びはじめた。 「ラーム、ラーム、ラーム、ラーム!」
甲高くくりかえされるその声には、祈りとか助けを求める叫びのような切迫したおびえはなく、むしろ葬式の鐘の音
のように落ちついてリズミカルだった。この声を聞くと犬はクーンと鼻を鳴らした。
まだ絞首台の上に立っていた首吊り役が粉袋のような綿の小さな袋を取り出すと、囚人の顔に上からグイとかぶせた。
だがあの声は布袋をかぶされても、まだくりかえしくりかえししつこくつづいていた。「ラーム、ラーム、

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12月03日(火)
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