ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4219, 神は妄想である ー2
まあ、13日の金曜日は皆で、このような話を楽しむ日ということか。    (。^0^。)ノホンジャ、マタ!
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2005年10月14日(金)
 1655, 北イタリア旅行記−6
 イタリア三大巨匠 ーダ・ヴィンチとミケランジェロ、そしてラッファエロー
このイタリア旅行まではフィレンツェの「ウッフィッツェ美術館」の存在を知らなかった。
この美術館にはイタリア美術史に燦然と輝く名画が勢揃いしてあり、馴染みのある絵画を次々とみることができた。
 ・ボッティチェッリの「春」「ヴィーナスの誕生」         ・ミケランジェロの「聖家族」
 ・レオナルド・ダ・ヴィンチの「東方三博士の礼拝」「受胎告知」  ・ラッファエロの「ヒワの聖母」
 ・フィリッポ・リッピの「聖母子と二天使」 などなどである。
特に印象的だったのが、ダ・ヴィンチの「東方三博士の礼拝」である。この絵は下書きの未完のものだが、
「モナリザ」「最後の晩餐」に匹敵するもである。また、ボッティチェッリの「春」と「ヴィーナスの誕生」が素晴らしい。
「春」を壁紙のHPよりコピーして一ヶ月位パソコンの背景画にしていたので身近な感覚で観ることができた。
地元の女性ガイドが絵画の説明の中で、同時代に生きたダ・ヴィンチとミケランジェロ、そしてラッファエローの
三人の関係を解りやすく説明してくれた。特に、ダ・ヴィンチとミケランジェロの人間臭い対立のエピソードが面白い。
それぞれの絵画の中の意味を知れば知るほど、その奥行きの深さが伝わってくる。
きしくも、三巨匠にボッテェチェリーなどが同時代にいたことが不思議である。
「旅は肯定である!」と、何かの旅についての随想にあった。ー旅は、肯定するためにある。ときにおこなう否定もまた、
肯定の一種なのだ。人間は、存在そのものが「!」であり、肯定なのだ。−
全くそのとおりであり、人生にも通じることである。如何なる場合でも人生は前向きにあらねばならない。
憎むためでなく、愛するためにある。苦しむためにあるのではない、楽しむためにある。
疲れたら、休めばよい。 急ぐことはない。 旅行は、そのことに気をつかせてくれる。    ーつづく
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2004年10月14日(木)
 1290, ダイエーが再生機構活用!
一昨夜、自宅の近くにあるダイエーの紳士売り場と、靴売り場を見て驚いた。売り場に商品が、あまりに少ない。
債権が焦げ付く可能性があれば、メーカーや問屋が商品の納入はしない。まさに末期現象と思っていた。
ところが、昨夜のTVのテロップで、「ダイエーが再生機構を受け入れる」と臨時ニュースを流していた。
これで、解体、売却の手順が踏まれることになる。一つの時代の終わりの象徴といってよい。学生時代、
ダイエーが流通革命の旗手として飛躍を始めていた。チェーンストア理論を売りにしていたペガサスクラブの優等生であった。
 (以下、字数制限の関係上、カット09年10月14日)
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2003年10月14日(火)
 923, アイスランド旅行記ー3
 ーオーロラハントー
 数年前に、ノルウエーのトロムソにオーロラハントに行ったことがあった。その時は「何だこんなものか」
という程度で、期待とは全く違うものであった。薄い雲がスジ状に光っているだけであった。
だだ行きの飛行機から見たオーロラがカーテン状に広く光っていたが。今回も5日間で一日しか見えるチャンスが無かった。
夜になると寒くなる為か曇ってしまうのだ。感動するような大きなオーロラのはそうそう見ることができないのだ。
そしてたった一回だけの私にとって一生もののオーロラが出たのだ。天空に展開した時の感激は、想像をしていたより
遙かに神秘的かつ荘厳であった。写真など撮っている余裕など無く、ただ呆然と見とれるだけであった。
これをどう言葉で表現したらよいのだろうかと考えていた。 天空の黒をキャンパスに、滝が降るように頭上の両側に
壁になり揺らぐ青白光の波がこの世のものと思えない、神秘的なものであった。あとは「・・・」である。 

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10月14日(日)
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