ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4159, ペルシャ湾危機
  しかし困難に直面をし、乗り越えようと必死になっている日々も大事である。
  その中に深い物語の意味ー価値がでてくるのじゃ!まあ、味がでてくると言ったほうが解りやすいか。
  生きているうち、 元気なうち、そして愛し愛されているうちじゃ、娑婆は!
  此方から見ていると、 そのことがよく解るのだよ!』    ホンジャ UvU/  バイバイ!  
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2005年08月15日(月)
 1595, 自民郵政解散の攻防−5
今度の衆院選、旧守派と民主党の負け戦?の様相になってきた。この流れは余程のことがないと変わらないだろう。 
 (以下、字数の関係でカット08年8月15日)
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2004年08月15日(日)
 1230, 広松渉(4)−哲学についてー28
価値観について、学生時代から興味を持っていたが、真正面から取り上げている
本は少ない。これだけ理路整然と書いてある文章は初めてお目にかかる。
文章自体難解なのだが、数回読むうちに少しずつ解りかけてきた。
  ー大雑把にまとめてみると
・価値は、主観的感情でしかない! それに対して、いや客観的存在を認める立場がある
・価値絶対説と価値相対説を対立させて、価値の立場を明確にしていく
 価値観は時代、地域などのTPOSによって変わるという相対説と、どんな時代でも、変わらない絶対説がある。
・価値観は期待される行動と、サンクション(賞・罰)によってカタチつくられる。
 ー第二節の実践と価値評価の要点を抜粋するー
第三章 実践するとはどういうことか
 第二節 実践と価値評価
 ー概略ー
哲学的価値論は、戦後の哲学界においては余り流行らなかったが、ひと昔前までは「哲学とは即ち価値哲学である」というほどであって、
価値は哲学上の一大テーマなのです。 哲学のいう「価値」は広汎もわたるので、ここでは行為についての正当・不当評価を論軸とする。
・価値」なるものにおいて、二大陣営の対立がある。
 一方は価値という客観的存在を認める立場であり、いま一方は価値とは主観感情にすぎないと見做す立場である
 客観的存立性を認める立場においても、「価値そのもの」と、
「価値を付帯・内具しているもの・ごと」とを区別をし、後者を「財」と呼びます。
「美そのもの」「善そのもの」等が「価値」とされ、「美人」「善い行い」「良い酒」等が「財」になる。
 価値そのものの特質を見てみると、哲学者は「価値」と「存在」とを区別をし、「価値判断」と「事実判断」を区別します。
 価値は、真・偽、善・悪、美・醜、聖・俗・・・というように、必ず正価値と反価値とが対になっているのが特徴である。
・価値について価値絶対説と価値相対説とがある。 絶対説は超歴史的に文化圏にかかわりなく価値は存立すると主張、相対説は
歴史的・文化的に価値は相対的にすぎないと主張する解りやすくいえば「美」という価値は超歴史的であり、いつの時代にも
「美人」と評価される女性が存在をした。しかし、ある時代に存在した美人は違う時代、違う地区では美人と認められるかというと、
そうではない。マリリン・モンローはインドネシアでは全く認められなかったというし、楊貴妃は。
現在のパリでは、全くの不美人に評価されるという。実質的価値認定は相対的である。
 ー期待される行動とサンクション(賞・罰)ー
人類は動物学的に見るとき早産である謂れ、かなり長期間にわたって手厚い養育を受けてはじめて生育できる未熟児とも言われる。 
動物である以上、人も呼吸・摂食・排泄をおこないますが、その仕方さえ、本能のままでなく、文化的様式化されます。
総じて、親が子に対して、上位者が下位者に対して、等々、立場上・役柄上、自覚的に賞罰行動をおこなうケースは、現実に
賞罰効果をもつ行動の極々一部にすぎないといえましょう。それにもかかわらず、人々の「共演」的行動は、大抵が、意図せざる
賞罰的な効果を対他的対自的にもつのであり、そのため、日常不断の行動を通じて、行動様態の「賞罰的」誘導規制、そのことによる

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08月15日(水)
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