ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3976, 閑話小題 
直ぐに忘れる癖がある。フルネームを憶えるのは人間関係の基本である!はず。名前負けしている人もいるが、本人にとって重要な言霊。
人生で何十万回、いやもっと多く呼ばれる言葉である。それは自分の魂そのものと言ってもよい。子供の頃「ハッちゃん」と、
多くの人に笑顔で頭を撫でられたのが、人生の原点にあるようだ。それと同じぐらい殴られもしたが、武器は泣くことだった。
母が亡くなって、財産分与の話をしているときに姉に言われた「あの可愛いハッチャン、何処に行ってしまったの」と!
弟の分際なので心の中で、「あの優しい姉さんは何処に行ったの」人は変わるのです、しかし魂は変わらない心の芯の部分。
変わってはいないのだ。変わったのは魂の外側の部分。今日を機会に名前をしっかり憶えようか!(゚∇^*)ホンジャ、バイ! ♪〜
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2006年02月13日(月)
1777, わたしの「夢ノート」 −2
  著者:中山庸子 出版社:三笠書房   (。・・)ノぉはょぅ♪
 (字数の関係でカット2009年02月13日)
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2005年02月13日(日)
 1412, 失敗学の法則ー読書日記
失敗学とは、事故や不祥事の原因を探る学問で、狙いは「再発防止」にある。
それだけでなく、それが逆に新しい発見を生むこともある。畑村氏が、この「決定版 失敗学の法則」の中で
「『うまくいく方法』だけを学んだ学生たちは、既存の技術のまねや、過去に起きた問題への対応は上手にできても、
設計の分野でもっとも大切な『新たなものを創造する』という能力がなかなか身につかなかた。
(字数の関係でカット2009年02月13日)
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2004年02月13日(金)
 1045、マ〜コー堀井正子に捧げる−2
ー姉の3回忌(3日前)の供養のための思いを書く。亡くなってまだ二年だが、もうズット昔のような気がする。
20代の頃、遊び相手に丁度良かったのだろう、大学時代は東京、勤めている時は京都、金沢と訪ねてきた。
観光がてらに遊びに来たのだ。12歳違いの姉というので、気が楽だったのだろう。亡くなる前年の5月に自宅に遊びに来た。
本人も、最後かもしれないという気持があったのだろうか。13時から17時近くまで4時間近く、一人話しまくっていた。
その時の写真を、当時このホームページのサロンに載せた。大手通の四つ角にいた頃のことや、亡くなった兄のことや、
手術のことや、現在の病気の状態を話していった。「大學を出てなかったことが一生に大きなハンデであった」と言っていたのが印象的。
特に芸大に行けなかったことが無念であったと。「取あえず父の死んだ71歳まで生きるのが目標で、あと4年は生きるつもり」
と言っていた。 まさか半年後に亡くなるとは本人は思ってなかったようだ。
「スキルス性(悪性)の癌ではないが、保険を有利にもらう為に、知り合いの医者が悪性の癌と診断書に書いてくれた」
と言っていた。その時ピンときたのは「実際にスキルス性ではないだろうか」という素朴な疑問であった。
数日後にすぐ上の姉に[直感だが、そう長く生きれそうもないから、理由をつけて、会えるうちに多く会って
おいた方がよい」と電話をした。そして、その年の10月に再入院後、翌年の2月に亡くなってしまった。享年68歳であった。
長女と末弟ということで気が合ったことは事実である。半分は息子のような気持ちがあったのだろう。
昔から「A型、長女、ウエット、お嬢様」タイプの女性が好きだったが、今から考えるとシスター・コンプだったのだろう。
家内には結婚してからシスコンと言われてきたが。4人も姉がいれば仕方がない。
大人数の末っ子は、兄姉に苛められる?反面、それぞれの生き様を直接見ることができる。
先生の悪口や、恋愛話?結婚話や、色いろな噂などなどが聞いていて、それぞれ見ていて良く解る。 
姉兄の中で、一番夫婦仲が良かった。長女と旦那が末っ子という組み合わせが良かったのだろう。
組み合わせも、夫婦の機微に大きな影響を与えるようだ。悪い例もあるが、具体的に書くと差支えがあるからを止めておく。

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02月13日(月)
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