ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3816, iPadを買った ー3
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人の欲求が新たな希望へと向かう心の軌道とは?
欲求の生起ー>否定ー>欲求不満ー>絶望(対象喪失ー>茫然自失ー>否認ー>怒りー>自失−>怒りー>自責)
−>抑うつー>悲しみー>孤独の自覚ー>諦めー>新たな希望の獲得ー
この過程のどこに「私」はいるのか考えてみようと提起している。望みが叶わないといって絶望や諦めを恐れる必要はない。
人の心は絶望や諦めを超えることで、孤独の中の本当の自分と出合い、自分が何を望んでいたのか、欲求の全体構造を明らかにする。
そして、その先にある新たな希望へと導く。挫折から、諦め、そして孤独の底から、新しい自分に出合い、新たな希望を創っていく
中から、真の楽しみ方を見出していくのである。何を考えても埒があかない。どう望んでも解決が見えない。
そんなときには、一度すべての欲求から離れるしかない。自分の心、身体、他人や環境のあらゆるものから離れて、
濁流や、澱みや流れの全体を見渡せる場所に自分を置く。そこで自分を作り直す。そこで、もう一人の自分に自分に出会う。
我われがあらゆる欲求から離れることができるとすれば、それは時間が止まったときだけだ。 時間は二つの場合に止まる。
絶望の中と、満足の中で。欲と向き合う、そして自分を満たして、自分から離れる
< 諦めて得た楽しみ >
追いつめられて見つけたもの、孤独と正面から向き合って心の安らぎを得ることである。それは、世間的な色・金・名誉を断念することで
初めて可能になった心の安らぎ。その引き換えに諦めを得たのである。 諦めは怒りへの固執を解く。諦めは生まれてから長く
慣れ親しんできた自分の外界の世界への固執も解く。もう、表象の欲に振り回されることもなく、静かに居られる場所を持ったのである。
人の精神が新しい世界に飛躍する時は、静粛に一度立ち戻らなくてはならない。静粛の中で起こることは、古い欲求構造の破壊と
新しい欲求の誕生である。
ー 雅ー欲を楽しむという意味
(以下、字数の関係でカット08年9月6日)
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2004年09月06日(月)
1252, オーストリア旅行記ー3
ーシェーンブルン宮殿ー
シェーンブルンの意味は「美しい泉」である。
その名を持つこの宮殿は、女帝マリア・テレージアをはじめ、その娘マリ-・アントワネット、
皇帝フランツ・ヨーゼッフ1世、皇女エリザベートなど、パプスブル家の人に愛され、光栄ある時代を今にとどめている。
そのきらびやかな部屋からは、華麗なる彼らの生活が蘇って見えてくる。 その幾つかを書いてみると、
・ナポレオンの部屋
1805年、1809年の二度、ナポレオンがウィーンを占領した際に居室として使用していた部屋である。
18世紀の軍隊生活を描いたブリュッセルの 写実的なタベストリーが部屋を飾ってあった。
・マリー・アントワネットの部屋
マリア・テレイジアの娘であるアントワネットが、フランスに輿入れをするまで
殆どをこの宮殿で過ごした。 その後はダイニング・ルームとして使われていた。
・鏡の間
1762年に、当時から神童として名だかかったモーツァルトが、マリア・テレージアの前で初の御前演奏を行なった場所。
そこで演奏後、けつまずいたモーツァルトを助け起こしたのがマリー・アントワネットであった。
・漆の間
マリア・テレージアが亡き夫を偲んで改装した部屋は濃茶の漆塗りに金で描かれた花鳥や東洋的な
風景が壁一面に覆っていた。そこにはフランツ1世や、ジョセフ2世などの肖像画が飾られていた。
そこでマリア・テレージアが夫の思い出に浸っていたという。
ー聖シュテファン寺院 Stephansdom
市内中心部にある大きな教会。塔は一部修復中であったが、屋根の模様は見ることが出来た。
エレベーターで、その屋根の上まで昇ってみてウィーンの街を見下ろしてみた。
その後、ケルントナー通りの聖シュテファン寺院から国立オペラ座あたりまでを ぶらぶらと歩いてみた。
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2003年09月06日(土)
885, 遥かなるアルゼンチンタンゴ
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09月06日(火)
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