ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3694, 自己を見つめる −16
(字数制限のためカット 2011年5月7日)
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2007年05月07日(月)
 2225, いい男とは?   (*´∀`)」" ヾ(@⌒ー⌒@)ノおはよ?♪           
 著者・岩月謙司に、ある日、とある女性から『岩月先生の本に従って一生懸命素敵な男性を探してみましたが、
 今だに「いい男」とは出会えません。
 ・・是非、男性向けにいい男になるためのハウツー本を出してください!』という投書をもらい、
 この著書「女は男のどこを見ているのか」を書く決意をしたという。なるほど、著者の魂の入った内容であるが、
 この本が出た後の2004年12月に女性患者への準ワイセツで逮捕されてしまった。
    (字数の関係でカット2008/05.07)
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2006年05月07日(日)
1860, ローマから日本が見える?11   おはよ?!(*^ワ^*)i          
《スキピオ登場》            ー読書日記ー 
  (字数の関係でカット、2009年05・07)
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2005年05月07日(土)
1495, いま・現在についてー3
 「どうせ死んでしまう」?     ?読書日記
「どうせ死んでしまう」ーいまの生成ーというコーナーに、「いま」について深く掘り下げてあった。
「一つの連続的自然現象を多様な関心に従って多様に区切る仕方」という言葉が解りやすい。
    ー面白そうなところを抜粋してみるー  Pー39
 ー「いま」の生成
すべての科学(大脳生理学・心理学・物理学等々)は現在と過去との差異性を塗りつぶすことによってかろうじて成立している。
・・「いま」は△T1というような一定の時間を指す概念ではない。「いま」は一つ前の「いま」という相関ではじめて意味を獲得。
この「いま」をえぐり出すことは、とりもなおさずその外に一つ前の「いま」をえぐり出すことである。
今日を「いま」としてとらえることは、昨日を一つ前の「いま」としてとらえることである。
今年を「いま」としてとらえることは、昨年を一つ前の「いま」としてとらえることである。
「いま」とは、自然現象ではなく、一つの連続的自然現象を多様な関心に従って多様に区切る仕方なのです。
「いま」の出現は、互いに否定的な二つ(いまに対応した未来と過去)の「いま」の出現にほかならず、そこにはお互い
否定的なものを繋ぐ作用が必要である。それが想起であり、その想起の主体こそが「私」なのだ。つまり、「私」は知覚においては
登場してこず(川を眺めているあいだは「私」は登場してこない)川を眺め終わって帰る時に想起したときに初めて登場してくる。
正確な知覚能力を具えているが(エピソード記憶に対応する)想起能力の完全に欠如した生物を考えてみよう。
彼は次々と知覚しその内容を記録する。しかし、次々と忘れていく。彼は自分が記録した内容を過去の事象として
理解することができない。そこに日付があったとしても、それが過去の日付であることを理解できない。
つまり、彼は連続的な自然現象を正確にとらえることができても、そこに「いま」と「いま」の楔を
打つことができないのである。そういう彼は「私」という意識をもたない。
 (字数制限のためカット2010年5月7日
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2004年05月07日(金)
 1130, 「ライフレッスン」ー11
 ー 許しのレッスン
誰も人生には、八つ裂きにしても許せない人間は何人かいる。そして自分も、他の人間にとって、そのうちの一人になっている。
相手を許すということは、けっきょくは自分を許すことである。許すということは自分の内面の魂の問題のかかわってくる問題。
「ならぬ堪忍、するが堪忍」であり、それは自分を如何に納得させるかの折り合いの問題でもある。
許すというのは、ある意味で奇麗事なのかもしれない。しかし、その奇麗事は最も大事ではなかろうか。
許しは、主体的なことである。許そうと努力していれば、そのうちに忘却の彼方に消えていくものである。
残ったとしても、自分の記憶には「許し」という言葉が包んである。
 ー以下は抜粋であるー

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05月07日(土)
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