ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[395237hit]

■3334, 「ウェブ2.0」時代の大前流「情報活用術」
無心で遊んでいた時であろう。それぞれの年代において、それぞれの遊びの中で我を忘れて楽しんでいた時である。
ー抜粋
・われわれは趣味や遊びが何であるか忘れている。家具つくりを趣味でしている人が、ある日突然「これを仕事にしよう」
と思い立つ。好きなことをして、それが仕事になれば、というかもしれない。しかし趣味とは成果を気にしないで純粋に
楽しむものである。 売るための家具をつくれば、もう趣味といえなくなる。 それは仕事である。
そのことに気づかずに、好きなことを、純粋に楽しめないことに ゆがめていく人が少なくない。
・面白くて、一日中でもやっていたい、本当に好きなことをやらずに、欲求を最大限おさえて生きていくなんて、
何ておぞましい人生だろう。遊びにかけているサファーを、われわれは並以下の人間に感じる。
しかし、真剣に問われるべきは、われわれの大半が遊びのない世界に住んでいるのは何故かということだ。
・自分自身に上質な時間をあたえてほしい。愛する人とすごす上質な時間が必要だということを、誰もが知っている。
ところが、自分だけのための、ひとりですごす上質な時間もまた必要なのだ。 ひとり取り残された時間でも、
気がついたらひとりになっていたでもなく、純粋にひとりを楽しむ時間が一番大事だということを知ってほしい。
  ーーー
 ー以前書いた文章ー 
ー遊びについてー
人間にとって「遊び」は最も重要の一つである。そこで「遊び」とは何かを考えてみよう。
まずその達人を事例で考えてみる。一番身近では母がそのプロ?であった。
戦前、戦中、戦後の動乱期に10人の家族が生きていく中で、父とともに苦労の連続であった。
そして長男、次男の連続の不幸な死で今の重症のノイローゼーニ。心筋梗塞、死の一歩の手前までいった。
亡くなった時、医師の要望で心臓を解剖したら、心臓の4分の1が壊死していた。
それを乗り越えた後は、それまでのエネルギーを遊びに全て向けていった。約40年近く遊びきって亡くなった。
日本舞踊、短歌、お花、旅行、茶道、写真。毎日いそいそと何か遊びを見つけ楽しんでいた。
子供ながらに、そのエネルギーに感心をしていた。遊びの重要さもそのため学んだ。
父は「働く人」、母は「遊ぶ人」と役割分担がハッキリしていた。ただ父も仕事の合間に、結構遊びを作っていた。
「遊び」を儒教的影響の為か、キリスト教的倫理観の為か、罪悪と教えられてなかったか。
子供のころ誰もが、毎日目を光らせて遊んでいた。 ただただ無心に遊んでいた。
あの遊びをいつの間にか我々は忘れてしまった。人間は生きていかなくてはならない。その為に働かなくてはならない。
競争に打ち勝たなくてはならない。 その為に勉強もしなくてはならない。
しかしそれだけでは、それだけの人生だ。 それがクロなら、その対象の白が必要になる。
どちらが大事かでない、どちらも必要なのである。 それを特に母の生き様から学んだ。
一般的にいうと、遊びの優先順位があまり高くない。どうしてだろうか、やはり生活をしていかなくてはならないからだ。
そして厄介な不安という心理がある。その為に、お金をセッセと溜め込まなくてはならない「馬鹿な?生き物」である。
遊びとは、「好きな事をして、それを楽しむ事」をいう。そうすると、仕事も遊びになりうる?天才はその典型であろう。
あの子供の時の遊びを我々は忘れてしまった。 何でも遊びの対象にした「遊び心」を。
純真の心を失っているからだ。 「純真な遊び心」をいつの間にか忘れてしまった。
「遊んでないで、笑ってないでもっと真面目にやれ!」と暗示をかけられてないか?
私の趣味の一つにウオーキングある。初めは腰痛対策であった。今は大事な趣味ー遊びになっている。
純真に楽しいーヽ(^o^)丿(^^♪!(^^)!(#^.^#)(*^^)vのである。
その中に純真な遊び心が躍動を始める。何々のためにといった場合は、遊びでなくなる。
それを乗り越え、純真な遊び心になった時点で「遊びに昇華」する。
パソコンもそうだ、このホームページもそうだ。そこまで持ち上げる必要性を人生で学んだ。

[5]続きを読む

05月12日(水)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る