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堀井On-Line
by horii86
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■3186,日本10大ニュース
どの部屋にもピッタリと合っていたものだ。 ヤドカリ男は見事なカメレオン野郎でもあった。
転々と、2〜3日で次の女の部屋に移っていくのだ。 だから、平均して二ヶ月に一回の割合になる。
彼は一貫して同じ職業を名乗っていた。外資系の薬品会社のセールスマンであり、二ヶ月に一度は日本の土を踏む、
という生活をしていると偽っていた。18人の女性はまんまとこの口車の乗せられたことになる。
大阪、京都、神戸、姫路といった具合に女性たちを分散していて、一日の仕事は、女性の部屋から他の女性に電話を
短く入れることである。 偽の国際電話であることはいうまでもない。女達はこの電話を頭から信じていたのだ。
小道具としては、洋書が二冊と外国のマガジン一冊で十分だといっていた。
海外に出たこともないのに、海外の情報に精通していて、彼女たちに外国の街の模様をさりげなく寝物語にしてやるだけで、
久しぶりに帰ってきた彼を暖かく迎え入れていた。パリ、ロンドン、ニューヨーク、ベルリン、フレンツェ、サンフランシスコ、
サンパウロ・・・といった地名が女性たちを操るのはかれは十分に熟知していた。
女性から見れば、自分の部屋にいる以外は外国暮らしをしていると思えば安心することを知り尽くしていたのだ。
(字数制限のためカット 09年12月25日)
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2003年12月25日(木)
995, クリスマス−2
昨日は学生時代のクリスマスイブの日を書き写したが、その[一年後のクリスマスの日]を記憶の中から引き出してみる。
ジャスコオカダヤに入社して四日市本店に勤務、そこから合併先のジャスコフタギの「神戸垂水店」に転勤になり、
半年経っていた。会社は幹部候補生を即戦力にする為に、店と売り場の高速配転をしていた。
2ヶ月もして慣れると、即配転である。四日市、神戸、桑名等。
5番目の売り場では、関西では初めての靴部門の立ち上げの責任者に取立てられていた。
それにしても、あまりにも過酷であった。当時のスーパーは、まだ得体の知れない新参の危うい小売屋でしかなかった。
濁流に放り込まれて、毎日が濁り水の中を溺れながら押し流されている日々だった。
現在考えても、よくぞあの濁流に飛び込んだものだと思う。それだけ当時の流通は暗黒の世界であった。いや今もそうだが。
話はそれたが、クリスマスは食堂でささやかなクリスマスパーテーをやったような記憶があるが、確かかどうかはハッキリしてない。
その後に会社仲間と寿司屋で酒を飲んでいたような記憶があるが、これも如何であろうか。女性とは一緒ではなかったようだ。
そうなら何処かで記憶が残っているだろう。クリスマスなどと浮世のことなど考えられない状態であった。
それにしても、あまりに異常の世界であった。 合併というのは、信じられないほど現場の摩擦がある。
その先兵は如何立場かという知識は全く無かった。 先ほど書いたように、流通業は当時は濁流そのものであった。
信じられないような光景が色いろあった。ところで、その年の年越しを思い出した。 宿直で、年越しを床屋で髪を刈っていた。
当時の関西は、年越しは床屋が深夜まで営業をしていた。それまでの年越しは全て実家で両親と供に年を越していた。
刺激が強すぎた日々でも、芯には染まらないのが私の特性である。これは武澤ゼミのお陰であるし、また欠点かもしれない。
また創業という目的があったためである。
「クリスマス」や「年越し」という視点で、過去を切り取ってみると色いろのことが記憶の底から湧き出てくる。
メリークリスマス!
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2002年12月25日(水)
621, 電子辞書を初めて買った実感
字数の関係でカット(2007年12月24日)
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2001年12月25日(火)
280、喩え話
かなりキワドイ難しい内容だ。これほど危ない内容はテーマに出来ない。何で?あまりに本質的な内容になるからだ。
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12月25日(金)
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