ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3080,再び死について考えてみる
十年位前に自宅の近くに公立の図書館ができた。はじめは月に一、二度位、通っていたが、今では週に一、二度はいく。
図書館で借りる良さは買うほどでもないと思う本を読める事にある。
そう思った本ほど、むしろ読書のジャンルに巾ができる為に良い本にあたる。
いやそれよりも絶対量を手に取れる為であろう。
「“図書館の天使”がそこにおり自分の捜し求めている本に導いてくれる」という欧米の諺がある。 
その信じられる現象に何度もあった。
今まで全く興味のない分野で、何気なく手にとり、その世界にひきこまれた事も図書館ならではである。
ーーー
H0903  “カルト教団”その一考察
 カリスマを持った強烈な教祖が、地上天国をうたいあげ“聖なる集団”?をつくりあげる。
サドがマゾ集団を束ねるプロセスを踏む。一人の主体者が多数の従属者タイプを集め価値基準を植込み、自己判断力を断つ。

その為には“霊力”と“性”をもつ教祖様を分母に、分子には地上天国とかいう共同体という甘い価値基準を仲間社会を与える。
そして、それが地上天国と言うイメージの商品そのものである。今、問題になっているオウム教は、そのカルトの典型である。
ブラジルで聞いた貧民に対するカルト教団の“あの世の住宅販売”=この世で住宅は持てないなら、
せめて天国の住宅を買っておくべし!といって貧民より金を取り上げる。
その日本版があのオウムであり、今の罪式僧侶のタカリである。
フロイトが“性”的部分を潜在意識でとりあげ、ユングが“聖”的部分でとりあげているが、
カルト教団は、その潜在意識の一番深い奥を見抜いて商品化をする為、
その部分で無知な理科系大学生など、すぐひっかかってしまう!
集団の肥大化による“霊と聖”の露出化で自滅していくのが、漫画的、幼稚園児的で面白い。
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H0905  事業百訓  
491 人間はすでに「なにものか」(本質)として存在しているのではなく、
  常に「なにものかになろう」として自己を世界に投げ出す自由な存在(実存)である。−サルトル−
492 本当の敵というものから際限ない勇気がおまえの中に流れこむ。           −カフカ−
493  昨日の自分は許しても、今日の自分は許すな!。
494 私の落語は噺を聴いてもらうのではのうて、自分の楽しいな、
 うれしいなという気持ちを伝えるものだと思います。      −桂 枝雀−
495 心は天と自分をつなぐパイプだ。 この結び目がしっかりしている限り、宇宙からの無限のエネルギ−が
 注ぎこまれ弱気になることはない。
496 我々は単数の生を生きずに、複数の借りものの生を生きている。
 それに気づいて“しまった”と思った時にはもう遅い。−高橋 義孝−
497 “自分がいいと思うように真面目にやって、お客がアクビをして帰ったら仕方がない。 
 家へ帰ってカミサンの前で一席やってごらん。カミサンも聞いてくれなければロウソクの前でやってごらん”
 と教えたそうだ。信じた通りやり、お客の喝采を気にするなという円朝の信念のあらわれだ。
ーーー
H0905  魂が万代橋の上を彷った話
 第2新館の役所の検査の直前の話である。
担当の設計士が顔をひきつらせ青い顔をして言うには、“今回の検査はパスしない!...”
一瞬耳を疑ったが、次の瞬間頭の中は真っ白、地獄の底へつきおとされた思いであった。
“それが本当であれば、あの建物は単なるゴミの山、そして私は?、会社は?...”パニック状態である。
それも夕方の飲み会の直前である。まあ明日の話として、頭も冷やすという事も含めて、
そして焼け酒という事で浴びるほど飲んだ。その夜は満室という事で事務所の長椅子に仮眠した。
恐らくそこが不安定という事と、頭がパニック状態という事と、酔いを含めて妙な夢になってしまった。
魂が身体より抜け出し、さっきまで飲んでいた古町より万代橋まで、目線が5m位の高さでプカプカ浮遊しているのである。
“ああ自分は浮いている。それも魂が”という感覚であった。そして目が覚めて!魂が浮いていたのはたしか夢か!

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09月10日(木)
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