ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2450, 手帳は予定、日記は過去を書くもの!
  その為お客はあまり回転をしない」とか。
   最短で1時間半かかるのだから、女性客はそれだけ居座るだろう。
    いま流行の、スローフードの典型である。
「郊外型、高級料亭ふう京料理のスーパーストア廉価店」といえる。
 新潟下越と中越地区の女性客が一巡する数年は、物珍しさも手伝って
  好成績をあげるだろう。その後は何とかやっていけるかどうかの業態。
   経営者も、3〜4年で投資回収をしてしまえば、
    後は何とかなると踏んでいるのではないだろうか。
たまたま知人の姪が、東京の「梅の花」で店長をしているという。
 新潟のこの店は成功で、客単価は5000円弱。
  会社全体として、この三年で勢いは落ち始めたという。
   店で作る豆腐以外は、九州の本部から送ってくるレトルトの加工するだけ。
    「チェーンシステムを京懐石料理に取り入れた」ということだ。
「梅の花」のHPを調べると、決算書の内容から見て、それほど好業績の会社ではない。
  売り上げが200億、自己資本比率が30%弱。
   多店化を始めた頃の店が成績が急落したため、新店でカバーせざるを
    得ないというのが決算書から読み取れる。
     三年前の9・11事件からの落ち込みは何処も同じである。
客としての判断は、あくまでも女性客に的をしぼった店であり、
  もう二度と行かなくてもよい店である。
   しかし、長い時間ゆっくりと食事をしたい女性客にとっては良いと思われる。

・・・・・・・・ 
 2003年12月19日(金)
989, 軽井沢の思い出

 現在書いている随想日記に「軽井沢」のことが頻繁に出てくる。
記憶の彼方のことが、今更のように思い出される。

 大学二年の秋に、隣の部屋の先輩から「OBの先輩がペアレントを
している軽井沢の山荘」のアルバイトに誘われた。
丁度、学生時代の生活に慣れて、寮とクラブだけの生活に辟易としていた
時期で、丁度よいタイミングであった。

 仕事といえば、食事つくりと、掃除と、宿泊客の夜の遊び相手である。
若い女性が殆どで、フォークソングを一緒に歌い、ゲームをしたり、話相手になる。
初めての経験で夢のような毎日であった。
卒業するまで連休や夏・冬休みなどに二年間ほど行っていた。

 早朝の朝もやの中、宿泊客とか同じヘルパーの女学生と散歩をするのが
一番の楽しみであった。並木道の木が重なり合っている「愛のトンネル」
いや「「愛の小道」という絵に出てくるような場所もあった。
周囲は別荘や池やホテルなどがあり、鳥のさえずりや雉の鳴き声が聞こえてきて、
幻想的な小説の主人公になったような世界であった。

 そこで仲が良くなって東京で会ってもTPOSが違うのか、一度で夢破れた
ことが何回かあった。夢は夢にしておくべきということを何度か再確認をした。
また久々に会う女学生が嬉しそうな顔をして走りよってくる姿が、
何ともいえない記憶として残っている。

 何で誰とも結婚しなかったのだろうか、不思議で仕方がない。
両親の縛りから抜け出せなかったのだろう。
いや??!まだ受け止められるだけのものが無かった。

 ところで話が変るが、そこの名前は「友愛山荘」であった。
旧軽から歩いて7〜8分のところにあった。
政治家一族の鳩山家の政治団体「友愛」が、ボランティアで運営している
ユースホステルであった。今はもう「鳩山家」の別荘に変っている。

 そのペアレントー山荘の責任者が、学生寮の先輩で「三浦満さん」あった。
結婚したてで、奥さんが明るい人で「波子さん」と言われて皆に慕われていた。
一歳の赤ちゃんがいた。夜の「お遊びタイム」の後、
三浦さんと酒を飲みながら政治や哲学など話すのも楽しみであった。
{ユースホステルでは、宿泊客をホステラーと言い、アルバイトをヘルパー、
マネジャーの役の夫婦をペアレントといっていた。}

 大学を卒業をしてから10年位の間2年に一度は遊びにいっていた。
また私の結婚式には三浦夫妻に出席してもらった。

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12月19日(水)
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