ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2441, 四四太郎の霊日記 ー11
深井にしたらあれが精一杯の接待だったのだろう。
その後悠久山に自転車で一人遊びに行く。
夕方になって街に出る。
実家の店と靴屋ーキッドに行き靴を買う。
その後両親と3人で自宅に帰る。
西村夫妻がおり裏に住む正子夫婦とともに一緒に食事をする。
正子の亭主の芳郎さんが急に席をたった?
夜半の0時半に西村幹夫さんが夜行で帰るので、見送りにいく。
ーー
10月14日
7時半に起床。オリンピックのバレーをTVでみる。
日本がアメリカに勝つ。姉が芳郎さんの席を立った理由を言いにくる。
色々あるのだろう。父の毒舌に腹を立てたようだ。
11時43分の佐渡で帰ってくる。
私の留守の間に寮の後輩の駒村がハプニングをおこしたらしい。
誰か友達と騒ぎ、喧嘩になって留置所に入れられたという。
呆れたものだ。2~3日はそっとしていてやろう。 明日から卒論の再開だ。
・・・・・・・・
2001年12月10日(月)
265,運について
運がいい、悪いというが運とは何か考えてみよう。
「ある事をやった結果がたまたま上手くいった、失敗した」
というのが一般的にいう運の意味である。
運は結果論でもある。そうするとその「決定」が関ってくる。
ある決定の段階で、情報の受けかたと判断が重要になってくる。
そう考えると運のいい人とは、
「無意識の判断」が適切・正しいということだ。
運のいい人とは適切な判断家ということになる。
適切な判断の連続線が運と言ってよい。
曇りのない心で情報、情勢を見る目が大事だということだ。
以前、情報工学の中山正和氏の講演を聴いた。科学者に似合わない内容だった。
その内容は後でコピーしておく。この文章もそれが土台になっている。
ついている人がいる。そういう人は本当に、どこまでもついているという。
もって生まれた運勢があるという。
その共通点をみると。明るく、楽天的で、勘が鋭いという。
(これは私の追加の感想ー>)それと努力家で夢がある人である。
ーこういう問題を自分で提起しておいて、逆に疑問を投げかけてみるー
運なんてあるのだろうか?「能力」の別名でしかないのではないか?
何も努力をしないで、なにも学ばないで「俺は運がない」と呟いている人を
何人も見たからだ。そして他人の努力の結果を運にしか見えない人間の浅さを。
運は字のとうり「はこぶ」である。努力と判断力で結果を呼び寄せるものだ。
多くの人と接していると、その人の将来まで解かる。少しオーバーか?
運の悪い人に多いのは「甘さと狡猾さ」を持った人である。それなら私だけなく、
別に誰でもその人間の将来を見通せる、何故なら誰もそれをもっているからだ。
その逆を重ねていくということか。
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H・0605「般若心経のすすめ 」
十年前に創造工学の中山正和氏の“運のつくり方”
という講演で般若心経のすばらしさを聞いて一ケ月がかりで丸暗記をした。
今まで何万回唱えただろうか。当社では入社教育で丸暗記が必須となっている。
二人の子供ま毎朝の仏壇での私のお経の為か丸暗記をしてしまった。
十年間の経験より(私の実体験より)直観した事を列記すると
@自分サイズの時空を超えた一つの視点をえた
A心臓音に波長があっている(リズム)
Bα波がくみこまれている
C“念”がこの中に入っている
Dお寺・神社等で唱えるとTPOとして、その場のイメージが鮮明に残る
E情報雑念等を切断、整理をする働きがあり結果として“運=無意識の判断”
を左右する。
Fこれをくり返しているとベースとして“空”がつみ重ねられてゆき自己の中に
その中空がつくられる
G夢の中で“空”を直感するイメージを得られた、
等々限りない。
・・・・・・・
ある時間の断片
12月10日 1968年
昼の13時に起床。
姉の突然の來京で、また予定が狂ってしまった。
あと二週間で卒論を書き上げなくてはならない。
どういうことだ、これでは間に合わないではないか。
あと二週間では無理である。
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12月10日(月)
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