ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[396563hit]

■2434, 絞首刑 −1
中国5000年の知恵の「紹興酒」になった。飲むと直ぐに酔うことと、悪酔いをしない。
翌日も胃腸の影響が少ない。少し高くつくが。
焼酎は、口と胃に残るからあまり家では飲まない。

まあ、酒の話は尽きることはない。

・・・・・・・・・
2003年12月03日(水)
973, 「永平寺」
ー以下、字数の関係でカット(2007年12月03日)
    ーーーー
2002年12月03日(火)
599, 忘年会

開業の年から毎年行われている会社の名物が忘年会である。
昨夜がその忘年会であった。
社内中心の新年会もあったが6^7年前からは行われてない。
とにかく盛り上がる。大体50人前後が出席する。
若い女子社員を先頭に一次会では座敷ゲームが行われる。

そのゲームでとにかく酒を飲ませるのがミソの様だ。
そこで最高潮になる。今年のように大不況でも盛り上がりは最高潮だ。
お客さんがだいたい7割を占めるが、ほとんど人が営業か
営業経験者の為、遊び上手でうまく盛り上げてくれる。

昨夜も最高潮に盛り上がった。
毎年その日にボーナスを出すので、社員も気持ちが盛り上がっている。
とにかく若い人のエネルギーがよい。時代時代により色々な忘年会の思い出がある。
急性アルコールで入院した人もいる。 この忘年会で初めて年末の到来を実感する。

過去に書いた文章をコピーしておきます。
ーーーーーー
H0905  宴会好き!

 創業来16年、当社の宴会が110回以上という。
私も宴会が好きな上に支配人がさらに好きというのが、この回数になったのだろう!
忘新年会、工事関係の祝賀会、海外旅行の出発、帰国、理由をつけてよく飲んだものだ。

もともと私の父が宴会好きであった。
酒はあまり飲めなかったが、その雰囲気が好きで年に2回ぐらい、
無礼講で家族と従業員と取引先数人を集めて50〜60人の会を開いていた。
これが私の4〜5歳の時からで、親の目を盗んで日本酒を飲んでいた。

今考えてみても相当の盛り上がりで、これほど楽しい思い出はない位
だった。芸者や幇間や素人芸人を呼んで“粋”な会でもあった。
丁度、父が私と同じ位の年齢で親子がカタチを変え同じ事をくり返して
いると思うと“三つ子魂”何やらである。

当時の貧しい時代のハレとケのハレであったのであろう。
今でも忘れられない芸の一つがある。畳の上に一本の紐をおき、
その上をあたかもサ−カスの綱渡りのマネをする芸であった。
酔っているその姿が危なく面白おかしいのだ。
その人も10年位前、痴呆で亡くなった。

ーーーーーーーー
[255] 税務捜査
 2001/12/03 07:51

二年まえの9月の初め頃突然税務署に踏み込まれた。
基本として脱税はしない方針できた。
たまたまその年、広告塔の150万を看板として、20万以下にして
分散し経費にして落としたのが指摘された。200万近くもっていかれたが。
皮肉なもので、たまたまその年、その一件だけ小手先を使ってしまった。

ある朝自宅に二人、事務所に二人、そして各ホテルに一人づつ合計8人が
10時に踏み込んできた。その瞬間私は刑事事件の‘被疑者’と同じ扱いである。
机の引き出しを全て開けられ、手帳もすべて押えられその内容を聞かれる。
三日間会社に監禁状態!(夜はもちろん開放されるが)昼飯に食べに出ても何気なくつけられる。

その位しないと脱税は指摘できないだろうが、
それなら「脱税をしなくては損だ」と思うくらい、疑ってかかる。
自宅も刑事と同じように、調べあげる。もし脱税をしていたら、絶対にごまかしは無理。
それより腹が立った。 そこまでやる!というまで非人間扱いである。

別に悪い事をしているわけでないのに、何故そこまでと思う。
感情が許さない。その日は酒を飲んで荒れ放題であった。
それがなければ広告塔の件は、指摘されないで済んだ。
たった一件のそれをフォローしていたと思うからだ。
銀行の貸金庫はもちろん、取り引き銀行全て行って調べ上げる。

[5]続きを読む

12月03日(月)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る