ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2432, 田淵節也 −「私の履歴書」最終日
(^_^)/~~
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2004年12月01日(水)
1338, 「自分を活かす極意」ー 読書日記−2
ー自分のクセを技に変えるー
三色ペンの技法に次いで、この言葉が印象的である。
その文章を抜粋して考えてみる。
ーでは、ふつうに日常生活を営み、ある程度の年齢に達成した
私たちには何を技にすればよいのだろうか。
私は究極的には「クセの技化」だと考えている。
武道や芸道ではクセを直して技を身につける。
しかし、年齢を重ねると、クセはほとんど直らないものである。
それを直そうとするよりも、それを芸にする、技化することを考えた方が
現実的だと思うのだ。
それがクセなのか、技なのか、その分かれ目は
全体に対してクリエーティブな働きをしているかどうかである。
その人のある種のクセが周りをクリエイティブにしていれば、
それはもはや技化しているといえる。
たとえば「卑屈さ」さえも技化できる。
卑屈さというのはそのままでは軽蔑の対象になるものだが、
タイミングよく下出に出ることがうまい人がいると、
場全体が円滑に回ることがよくあるものである。
そう考えると、新たな技を身につけるより、一見ネガティブにみえるものを
技化し、自分なりのスタイルを確立するほうが、社会全体をトータルに
見たときにクリエイティブといえよう。
画家にしても、二流の人にはスタイルがない。
プロ野球の選手でも、スタイルは一流選手しか持っていない。
その典型がイチロウ選手である。彼のバッティングは完全にクセが技になっている。
このクセは、バッテングセンターで早い球を打つために、
あの体全体をスライドさせる打ち方になったという。野茂投手の投げ方も同じである。
世の中、クセを技化して自分のスタイルを作った者の勝ち、というところもある。
ふつうはあまり推奨されない発想だが、人間、残り少ない人生になってきたら。
自分なりの味を出して、「あの人のやることだから・・・」
と周りに認めさせるようになればよいではないか。
ーー
以上である。 この文章を読んでいて、100l認めてよいか疑問であるが、
クセを逆に技化してしまう考え方は面白い。
特に、ある程度の年齢を過ぎてしまえば、焼き直さなくてはクセを
変えろというほうが難しい。それなら、それを技としてしまうのがよい。
母親が、部屋の飾りに近くの川から流木を拾ってきて、
そのクセのある枝を逆に飾りとして置物にしていた。何とも風情であった。
落語家が年配になってくると、何ともいえない性格そのものが笑いになってしまう。
晩年の林家三平とか、今では林家円鏡がそうである。
間違ってはいけないのは、年配の癖は「守・破・離」の「離」でしかないということ。
クセー我流をスタイルに変えればよいだけだ。 一番難しいことだが。
ー斉藤スタイルという、スタイルもクセと大して違わないのでは?
いや技化しているから違うのか!
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2003年12月01日(月)
971, ナレッジマネジメントー2
「マルコムボルドリッヂ国家品質賞」について
字数の関係でカット(2007年12月01日)
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2002年12月01日(日)
597, スーパー床屋 −2
そこで働く人たちはほぼ全員椅子貸しの契約社員。
TVで見た範囲の知識だが、頭の洗いは省略をして掃除機のような
もので吸い取ってしまう。髭そりもオプションになっているようだ。
一人当たり10〜15分で仕上げてしまう。
特に土曜と休日に集中するという。
それなら美容院もあってもよいのではと思ったら
新潟にも全国チェーンで「クイーン&キング」という名で
青山にあるという。 これなら家族でいける。
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12月01日(土)
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