ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2423, 夢のようなホントの話
ルソーは、その著書「社会契約論」で「人間は自由なものとして生まれた」と述べたが、
「全ての人間が社会において等しく自由である」という事は絶対に不可能である。
かつてホッブズは、各自が己の自由を守る為には「万人の万人に対する闘争」に陥る。
と指摘した。 キリスト教世界において、人間が自由であり続ける為には、
戦い続けなければならない。

「自由」という言葉には、英語では2つの単語が存在します。
「Liberty」と「Freedom」である。
「Liberty」とは「束縛からの自由」を意味し、
束縛から逃れる為には、 戦わなくてはならない。
一方、「Freedom」は束縛から解放された結果
もたらされた自由であり、「自由な状態」を指します。
そして自由な状態が脅かされる時には、やはり戦わなくてはならない。

哲学者のホッパーは自由を文化的粉飾から自由になることが大事だとしている。
日本的にいえば、世間の常識に縛られないということだ。
日本は自由という言葉は明治初期まで無かったという。
欧州から入ってきた「Liberty」と「Freedom」を西周が「自由」と訳した。
それまでの封建社会では自由の意味もまったく無かったのだ。

鈴木大拙は自由に相当する言葉を自然(じねん)と看破した。
自らを然らしむ、自由自在に自分を伸ばす、自分で自分の納得する境地を拓くという内容である。

この「自然」の然は、もとは「燃」という説もある。
「人間は燃えているときに仏性をもつ。醒めた人間は悪魔だ」という。
「自由とは道理」という解釈も面白く納得できる。
自由ー自然ー道理と考えると、なるほど納得できる。

「家内の束縛から自由になりたい」と思ったら、
「家内の束縛から自然になりたい」ということになる。
束縛を束縛ではなく、それが自然と考えればよいのか?
束縛に対し、自らを納得させるということになる。
束縛が道理であると諦めるということと考えると、解るような気がする。
まあ、あまりに日本的だが。
「不自由を恐れるなかれ、無意味な自由を恐れよ」
と、この文章を書いていて思いついたが、そのとおりだ!逆もいえる
「自由を恐れるなかれ、無意味な不自由を恐れよ」の方が、理にかなっているか。

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2004/05/19
1142, 自由について −2

(字数の関係でカット 2007年11月22日)
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ある時間の断片
11月22日(金) ー1968年

・8時起床
 今日は人事管理に出席。 ゼミの同期の外山君と食事。
 彼は新潟の三条市の同郷だ。おとなしく誠実な男だ。
 彼と行きつけの喫茶店の‘ウイーン’に行く。
 田島のグループがいる。 彼らと口泡を飛ばして話し合う。
 奥野君も来る、彼は先日突然部屋に訪ねてきた男だ。

・13時にゼミに参加。
 ゼミの先輩で社会人になっている人が二人がきて、社会人になった実感を語る。
 その後マクレガー「企業の人間的側面」という本の内容について、
 読後感を各自発表する。 15時に終了。
 その後、16時まで明日のゼミのOB会のネームのバッジつくりをする。
・帰寮後、大妻大の宮本さんから電話で昨日の件で1人いい人を紹介するという。
 かなりの美人だとか。 冗談だったのに、まあいいや、なるようになるだろう。
・その後、市川さんと飲みにいく。 夜半の2時に就寝する。

11月22日(木)
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