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堀井On-Line
by horii86
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■2215, 買い物依存症の女
時代をこえて生きたとしても、何の意味もない。
愛する人が誰もいなくなり、もはや理解しがたい文明の中で生きつづけるのは、
空虚以外の何ものもないだろう。

・夜空をみあげるとき、私たちはじつは遠い過去の光りをみている。
星の光りは地上のいまの光りでなく、何百万年前の光りだ。
他人にたいしても、私たちは同じ経験をしている。
私たちはなかなか現在の目で他人を見ようとしない。それは自分に対しても
おなじである。ほとんどの人はいまの真の自己をみようとせず、過去や自分や、
そうなりたかった自分としての自己を見ている。
きのうの自分がきょうの自分を規定しているわけがない。
それに気づくことのなかに、すばらしい自由がある。
もし現在という時間に意識をむけ、あるがままの人生を見つめることが
できさえすれば、あたらしい自分になり、まっさらの新鮮な気分で今日と
という日をむかえることができる。

ー感想ー
「時間がすべてを解決をする」ということを長く生きてきた人は
誰でも実感することである。だいたい深い傷でも3年が目安である。
ただし、深いところで自分で手当てをしておかなくては後々まで引きずるが。
振り返ってみる時、時間と供に自分も変わっていくので、客観的にその変化をみることができる。
時間が経つと同時に、何が大事で何が大事でないかもみえてくる。
冷静に屋上の上から見ている自分が「魂」である。
その時々に思い悩み、笑い楽しんでいる感情が「心」といってよい。
時間と供に魂の目を、その時間に伴って上方に上げてくれる。
ただ今日、今という時間に意識を集中しなくては魂は上方には上れない。
一期一会とは、すべてにいえることである。

・・・・・・・
2003年04月27日(日)
753, 孤独について考えてみた

 自分の強みは何だろうと考えてみた。
「孤独に強い事」である。あまり人といなくとも平気である。
若い時の都会の生活や勤めの時代に鍛えられたことと、8人兄姉の末っ子だった
こともある。一人でいつも遊んでいたという。
創業を独りで何回か経験をしてきたのが、さらに孤独の訓練になった。
孤独をポジティヴに前向きにしなくては、無から有は創れない。
青年期はそれほど強くはなかった。実際は空元気であった。

「孤独を恐れるのは、ひとりそのものではなくて、孤独であることを責める自分
の中の内在化された他者の声である。それが多くの人の心を責めさいなまし、
安らかな心を破壊してしまう・・・」とある本に書いてあったが、私の場合そのような
内在化された他者の声は全くない。
独り事業を何回か立ち上げてきた為に内在化する余地がなかったのだろう。
それと行蔵が整理?されていたこともある。
あとは幼児期に両親や姉兄にタップリと愛情をそそがれた事が大きい。

 日本というのは孤独を白眼視する、同調的で画一的、群れや集団に属さないことを
忌避する、個人が自立できない幼稚な社会である。
これは仏教と島国が長年の間に影響してきたのだろう。
現代のように人から嫌われることを極度に恐れ、他人に従順になりすぎる大多数の
人には、逆に「人から嫌われる強さ」が必要である。
群れていれば安心している輩があまりにも多い、まあ如何でもよいことだが!
孤独をきっちり確立した上で、寂しさを紛らわしたくなったら、そういう場に
行けばよい。独身時期はきっちりとその組み立てをしていた。
居酒屋に行けばいくらでも、癒してくれる店主やママや飲み仲間がいた。

 本当に孤独に対して訓練されてない人が多い。
そういう人が仲間になって群れてしまうから更に悪い。
今回の青年会議所仲間同士の殺人事件など、そこがバカや低脳児の集まりの場で
しかないことの証明でもある。本人たちは全く気がついてないのが哀れである。
仕事の手段として群れているつもりだろうが、手段が目的にすりかわってしまうのだ。
手段の遊びが、目的になってしまうのだ。
 過去を考えると他人事ではないが!??

ー孤独を失った時の損失を考えてみると
・独創性や創造性であり

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04月27日(金)
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