ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2188, 宮城まり子 −3
ある出来事を、結果として意味付けをしたがるが、それは「自分の価値観
に対して無意識的に押し込もうという働き」と見ると理解ができる。
そうすると、意味を考えることは価値を考えることなる。
そういう知識のない人が、必死になって「意味づけの演説?」をしているのを
聞いたことがある。
その時「この男、馬鹿じゃないか?」と聞いていて思ったことがある。
「結局は、自分の価値観、意味づけを言っているだけじゃないか」と聞いていた
ことを思い出して納得をした。
まあ、同じことを自分もしているのだろうが。
二つ目の「置き換え」は、少し解りづらい。
意味というのは、同じことを置き換えているに過ぎないというと解りやすい。
「deskは机だ」という言葉の置き換えがよい例だ。
もっとわかりやすい場面が、
夏休みにNHKの「子供ラジオ電話質問コーナー」がある。
こどもの単純な質問に窮した回答者が苦し紛れに、ただ言葉の置き換えで
説明をしてしまうことがある。
「死ぬってどういうことですか?」という哲学者でも答えられない
問題を一言で片付けなくてはならない時に、言葉の置き換えで誤魔化すケースだ。
三つ目は「世界の創りかえ」である。
良い意味でも悪い意味でも、宗教家が使う手法である。
経営も政治も、考えてみれば「世界の創りかえ」である。
その時、背後には大きな意味がなくてはならない。
その点では、「意味」や「価値」は最重要事項である。
「ところで、このホームページって何の意味があるの?」と問われたらと考えてみた。
何回も書いているが、「公開の日記と魂の記録」といってよいが。
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2004年03月31日(水)
1093, ユビキタスの時代ーIH式炊飯ジャー
数年前TVのコマーシャルで、すし屋がご飯炊きを陰でIH炊飯ジャーで
炊いているのを放映していた。
先日、その炊飯ジャーを買って食べたところ、本当にコマーシャルのように
寿司屋のシャリにそっくりに炊き上がっていた。
一粒一粒たっているようなご飯に出来上がっていた。
「今まで食べていたご飯はなんじゃい!」というのが実感である。
20年以上前のジャーと比べるのだから、当然といえば当然だが。
数年前に寿司屋でTVと同じ場面に出くわしたことを思い出した。
シャリが美味しいので褒めたら、炊飯ジャーで炊いたと女将がいっていた。
電子レンジと冷蔵庫も20年使っているが、両方とも当時15〜20万もしたもの。
今は5分の1になってしまった。機能も含めると10分の1といってよい。
それにしても、我家の電気器具の物持ちがよいのに驚く。
それが当たり前なのかもしれないが、20年前と今の電化商品は全く別物といってよい。
PDPTVやDVDやビデオやカメラや携帯電話などの技術開発は素晴らしい。
電気売り場に行く度に、その進化に目をみはってしまう。
ユビキタスが、その背後にあるのだろう。
高度の技術が身近な家庭や職場に、どんどん使われだした時に
時代は激変を始めるのだろう。
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2003年03月31日(月) 726, 結婚式で思う
私は結婚式と葬式に参列するのが好きだ。
その中に色いろな人生の圧縮がみえるからだ。
一般には「人生で集まって褒めてくれる」のは、
「生まれた時と結婚式と葬式の三回」だけだ。
そのうち結婚式だけが、祝福されるているのが自覚できる。
「人生は結婚式で道半ば」ともいう。
それで人生の大半が決定してしまうからだ。
当たりか外れは神のみぞ知るである。
今はジミ婚になってきて「社会の体面や家どうしの対面」というより
「本人同士のお祝い、かつメルクマール」という面が強くなってきている。
以前よりは結婚式に対しては、気楽な式になったようだ。
若い二人が夢を持っての門出を祝うのは気持ちのよいものだ。
つぎは葬式である。
本来葬式はお祝いであるべきだ。
その人が人生を終えて、無に帰っていくのを送る儀式である。
人生の卒業式である。悲しみであると同時に、その人にとって大きい意味を持つ。
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03月31日(土)
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