ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[397160hit]

■2102, バンジージャンプ −2
文化の積み重なりとしての遺産を文明。
その現時点の花開いている集合体を文化と理解していた。
時間軸でショートスパンで捉えたものを文化。
ロングスパンのものを文明として捉えていた。

しかしインターネットでで調べてわかった事は以下の事である。
ー各ホームページから抜粋したものを纏めたものであるー
・文化は個々人の心(意識と無意識)であり、
・文明は人間を取り巻く環境(自然環境、建築環境、社会環境)です。

ー文明とは人間が造り出した目に見える物質的なものに対して
 向けられる言葉であるが、

ー文化とは人間の身につけた自らの行動を律する目に見えない精神的なものに
 対して向けられる言葉である。
 最近の言葉でいえば「ハード」と「ソフト」との違いと言うことになる
「文化」と「文明」という言葉のつく固有名詞を考えて見ればこの違いはより明確になる。

・「○○文明」と言われるものの多くは「インダス文明」とか「古代文明」
 などのように、特定の時代の、しかも特定の人々の社会もしくは
 その経済的所産を指しており、その多くはすでに歴史の流れの中で過去のものと
 なっている。

・これに対して、「○○文化」と呼ばれるものは「イスラム文化」とか
「仏教文化」というように、たとえその誕生した時期や地域が特定されるにせよ、
 その時代や地域に制約されることなく、その多くは今日まで何らかの形で生きている。
 確かに文化と文明とは人間の歴史の中で一体となっており、文明なしの文化、
 文化なしの文明などあり得ないのであるが、これらは決して同一のものではない。
 高度の文化を持ちながら、しかもずっと低度の文明しか持たない民族がいる
 ――例えば古代インド人――一方、大いなる文明を持ってきたが、
 比較的低い寄せ集めの借りものの文化しか持たない国民――例えばローマ人、
 そして現代ではアメリカ人――がいるのである。
 歴史の隠れたドラマは、人類の内的価値と外的価値の永遠の闘い、精神と物質、
 文化と文明との闘争であるとさえ言いうるであろう。
 アメリカとアラブの闘いは文化と文明の闘いと思っていたが、
 文化と文化の争いでしかない?
  
 ーー自分である問題を提起すると、一瞬のうちに纏めができることに驚いている。
 幾つかのホームページの要点を張り替えただけでチョッとした
 学者並みの小論文が出来上がる。
 
・・・・・・・ 
2002年01月04日(金) 290、歓喜ー2

TVであるが、
元旦の小沢征爾のウイーン・フィルニューイヤ・コンサートがよかった。
あまり興味のない分野だが、日本人初のこの指揮を生放送ということで見てみた。
もちろんウイーンからの生である。
シュトラウスの「ラデッキー行進曲」や
ワルツ「美しく青きドナウ」などであった。
それに合わせ他の?お城でダンスを踊っているのが夢のような世界である。
指揮者・演奏者・観客が一体になり音楽の世界に入りこんでいる、
歓喜の世界であった。

当然最後はアンコールの拍手の渦であった。
この音楽会でこの曲を聴く前と後、というくらいのインパクトを与えるのが
芸術の力である。あの場面にいたら、その位の気持ちになったのでなかろうか。
歓喜・感激はそれ位のインパクトを人間の心に与えるものである。

音楽などの芸術は、宇宙・大自然の中のあるメッセージを一瞬にとらえ、
作品に仕上げたものであろう。
それを会場の全員がそのまま受け取っているのでないか。
歓喜は当然のことだ。

・・・・・・・・・
1月4日 1969年
 10時に起床。
食事をして、顔を洗い、新聞を読んだりして時間を過ごす。
午後は裏に住む姉の正子さん宅の屋根の雪下ろしだ。
2時間した後に、従妹の旦那の関口さんが来る。
高専の先生をしている。
彼と学生運動から教育論について話す。
気がついたら3時間も経っていた。
気持が若く開放的だ。
先生とはこういうものかと思った。
20時からジャスコオカダヤの論文の構成を考えるが、
上手くまとまらない。

[5]続きを読む

01月04日(木)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る