ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2089, 道教と儒教
数日は全ての犬が匂いをかきにやってくるという。
そして認知をされるという。まあ人間の世界と同じである。
犬好きの人は自分の犬の自慢がしたいらしい。
このあたりも人間と類似している。
まずは相手の犬を褒める。
そうすると互いの褒めあいの場になるという。
横で聞いていると馬鹿みたいだが、それがまた面白いとか。
聞いていても目に浮かぶようだ。
住人でもないのに遠くから車に乗せてその世界に来る人もいるとか。
人間の一番の悲しい?いや愛くるしい性が丸出しのところがよい。
愛犬は飼ってないが、散歩でその世界を毎朝近くの土手で見ているから
真実味がある。
・・・・・・・
2001年12月22日(土)
277、笑いについてー
私の最大の素質に気づいた!
腹から笑える事だ!
昔からいろいろあったが、これは子供の時からの特技だ!
それだけ激しい真ん中(商家)に生きていたからだろう。
笑っていなくては、やってられない!
TVの漫才をみて笑っていたら、親戚の叔母が見ていて不思議そうな顔をして
「どうしたらそうして笑えるの?」と、学生の時代に聞いたことがあった。
笑うとは何だろう?もちろん理屈はある程度解かっている。
でも実感としての(笑)とは何?と考えた事があるか?
人生から笑いをとったら、残るのは何だろう?
笑う為に生きてきたみたいなものだ。
それだけで人生元を取ったように思える。
いや感動・感激もいえるが。
笑いと感動は、魂の顕現化といっていい!
それでは落語家か、漫才家になればよい。
しかしそれは商品でしかない。
実際の(笑)は違う。
心、いや、魂の緩みだ!
どういうわけか、過去を振り返ってみて、笑いだけは常にあった。
笑えない時期でも、(笑い)は別腹であった。
その理由は今でも解かってないが、背後に豊かさがあった為だろう。
家内に言わせると、どんな時期でもTVの「落語や漫才」を見て、
大笑いをしていたらしい。
でも本当にそうかと自問してみると、そうでもないか!?
「凍りつくような時期」ではどうであっただろうか?
笑いはなっかった!
やはり結婚をして,家庭を持ってからは、どんな時期にも笑いだけはあったようだ。
それが家庭の効用?か。
いや訓練と、習慣である!
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12月22日 土曜日
1968年
9時起床に後、食事。
土砂降りである。
千葉に住む、すぐ上の姉・礼子さん宅へ向かう。
しかし早速、二人でいがみあう。
あいも変わらず仲が良いのか悪いのか解らない。
彼女の悲観的な面から抜け切れてないのが気に入らない。
如何してマイナスマイナスに考えるのだろう。
夫婦仲が原因?。
15時に寮に向けて出発。
17時前に寮に到着。
瓜生君の部屋で、お茶を飲む。
その後部屋にいると、米林君が来て5日間の寮内の出来事を何気なく切り出す。
佐藤と駒村孝道がチョッとしたハプニングがあったという。
また一年先輩の留年組みで残っている佐々木さんが女性を連れ込んだとか。
今さら何もいうことがない。
あと二ヶ月で居なくなるのだから。
もういいだろう。
20時過ぎに飲みにでる。
まあ、面白い一日であった。
12月22日(金)
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