ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2074, 寝ずの番
修羅場もいいところである。子供ながら、そのことは解っていた。
私が異常に「痴呆名士や、その??息子」を嫌うのは、
こういう場面を両親に意図的に見せられていた為だ。
「蔵出し」とは、商売の勝ち組が負け組みからただ同然で財産を買い叩くことだ。
勝てば官軍、負ければ賊軍の凝縮された場面である。
絶対に負け組みになってはならないのだ。
昨日、「開運!なんでも鑑定団」を十年近く見てきた中で、
一番すごい場面をみた。
「光悦」の茶碗が出てきたのだ。
嘘だろうと思ってみていたら、何と本物であった。
この春、ある収集家が自信を持って出したものが全部、贋物であった。
その本人がリベンジで出てきた。
10年前400万で買った「光悦」の茶碗の鑑定だ。
もし本物なら、国宝ものである。
結果からいうと本物であった。
光悦の作品が17点あることは知られていて、
今まで8〜9点の存在は確認されているという。
新たに不明の一点が出てきたのだ。
鑑定の値段は「5千万円」であったが、
実際は値がつかないだろう。
ー最近、話題はTVか、レンタルDVDの映画が多い。
どうしてもカウチポテト族になってしまう。
ーインターネットで「光悦」で調べた内容をコピーしておきます。
本阿弥光悦
(ほんあみ こうえつ 1558〜1637)
永禄元年(1558)、京都に生まれる。
安土桃山・江戸時代初期に活躍した芸術家。
近衛信尹、松花堂昭乗と共に寛永の三筆の一人。
京都の三長者(後藤、茶屋、角倉)に比肩する富豪で、代々刀剣の鑑定、磨き、
浄拭を家職とした本阿弥家に生まれる。熱烈な法華教信仰を根幹とする一族の
厳格な節倹、誠心を光悦も失うことなく、和学の教養と独自の書風(光悦流)を
身につけて、美術工芸面に金字塔をうち立てた。角倉素庵に協力して出版した
嵯峨本や俵屋宗達の下絵に揮毫した和歌巻、色紙、さらに蒔絵、茶碗などは、
当代の日本文化の花と讃えられる。
茶の湯の師、古田織部が自害した1615年(元和元年)徳川家康より洛北鷹が
峰の地所を与えられ移住し、〈皆法華〉の芸術家村を築いて、題目三昧と創作、
雅遊の晩年を送った。友人は公家、武士、僧など広範に及び、〈天下の重宝〉
と惜しまれて、同地に没した。
(コンサイス日本人名辞典より抜粋)
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2002年12月07日(土)
603,ある時間の断片-17
10月8日 1968年
10時起床。
12時40分に上野に向け出発。
六日町の雲頓庵へ。
久々だ雲頓庵だ。
計画はこうだ。
6時半起床、一時間掃除、食事、30分間座禅、9~12時勉強、
昼飯後、13時から15時勉強、30分休憩後、17時30分まで勉強。
食後30分座禅の後、19時半から23時半まで勉強。24時就寝。
卒論の大筋をつくり、目次を第三章までまとめる。
小項目をそれぞれ書き込むこととする。
ー追記ー
2002年12月06日記
この時に書いていた卒論の内容について書いてみる。
ー卒論 「流通革命について」
私の卒業論文は「流通革命」であった。
内容は今のスーパーの出だしのころで、
そのころ主流を占めていた百貨店や一般小売店やデスカウントハウス
に変わり、チェーン店の時代がくるという論証であった。
その為にアメリカのチェーン店を引き合いに出して、その組織や
業態を事例に出して、これからは今までの流通経路と全く
違ったバイパスとしてのチェーン店の時代の到来を、渥美俊一や
林周一の流通革命という書物を種本にして纏め上げようとしていた。
今なら一月もしないうちに、いや二週間で軽く書き上げることができるが、
基礎となる文章の書き方も知らないで、もがき苦しんでいるのが
手に取るようにわかる。
・今なら結論は何だ!と決める。その30~40語をまず決める!
・その結論を導き出す3〜4の項目をたてる。それに集中する。
・あとはそれぞれのキーワードを3〜4つさがす。
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12月07日(木)
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