ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■1982, ある首斬り役人の日記 −3
スペイン系の移民たち、自然に生きてきた牧童ガウチョ、黒人の
子孫たち、それも社会生活からハミ出してしまったやくざ者たちである。
彼らが自分たちの娯楽として作り出したダンス音楽がタンゴとなったのだ。
だからタンゴにはそれぞれが生れ故郷で親しんできた昔楽が入り込んで
いるし、望郷を思わせる哀愁あるメランコリックなメロヂィーを持って
いるのである。
タンゴが他の地域へとひろまり始めたのが1920年代。
きっかけはそれまでダンス音楽だつたタンゴに「歌」という表現形式が
現れたことといわれる。
それから楽譜産業、レコード産業の発展も大きく貢献した。
それと並行してパリを中心にしてタンゴは世界的流行を見せ始める。
その後はアメリ力の映画や音楽に押されてしまうが、1940年代に
復活、フアン・ドミン」・ペロン大統領とその妻エビータの
ナショナリステイツクな政策も助けとなって第二の黄金期を迎える。
1950年代後半から経済悪化にともない、小編成グループが増加、
アストル・ピアソラを中心とした現代タンコ・への歩みもスタートする。
今、アルゼンチン・タンゴ・界では昔からのスタイルも、
現代的なスタイルも、男性歌手も女性歌手もあり、ダンサ一も数多く活
躍し、とてもパラエティに富んだ趣味、芸術に発展したのである。
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2002年12月21日(土)
617,パタゴニア旅行記(タンゴ)ー4
アルゼンチンタンゴがすばらしい!
昔はブエノスアイリスは女性が少なく、その憂さを晴らすため船員同士
が女のふりをしてエロッチクな踊りをふざけて踊ったのが由来という。
それが波止場近くの娼婦の売り込みの踊りと変化していった。
その踊りが西欧の人達に認められていった。
従って内容はエロチックで情念丸出しのものであった。
ブエノスアイリスで一番の1400人収容の店で、ショーが
2時間以上にわたって繰り広げられた。
全く期待をしていかなかったのが良かったのか、
初めから終わりまで拍手喝さいのすばらしいショーであった。
お客の全員が感動に包まれ、アンコールの連続であった。
今まで見たショーで一番の感動と言ってよい。
辛口のツアーの同行者もこれだけは絶賛をしていた。
この旅を締めくくるに最高のイベントであった。
写真を見てもらえれば解るはずだ。
よいのはダンサーが一番楽しんでいる事だ。
この旅行は心に多くのものを残してくれた。
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2002年09月06日(金)
511,こころの添削
「文章を添削することは心を添削することだ。
その人の心が添削されないかぎりはその人の文章も添削されようがない」
ー藤村藤村の「初学者のために」より
なにか毎日[[随想テーマ日記」を書き続けていて、一番勉強になるのが
自分自身である。思っていることを書き出して、添削を続けていると
心を書き出し、こころを添削しているような気になる。
小さな、ネジ曲がった自分がまず浮き彫りになる。
そして、他人に見られていることを意識して書き直す。
その作業を通して、自分の心が添削されていくのが実感で解る。
文章の上達は「量を書くことと添削しかない」と立花隆が
書いていたが、そのとおりである!
添削は誤字や文の脈絡の捩れを直すだけでなく、
その前提になっている自分の視線・視点を治す事だ。
言葉が汚い自分はこころも汚い事と反省しなくてはならないが!
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人生は「自分が真にしたいことを見つけ、面白く生きること」
これが秘訣だと両親の生き方より若いときから学んだ。
ものを書くことも然りと、田辺聖子の「いい文章を書くために」
という随想に書いてあった。
「書きたいことを、面白がって」
そうすれば、読む方もその人の本当に言いたいことに注目をするし、
面白がって読むだろう。文章も躍動感に満ちたものになるだろう。
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09月06日(水)
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