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堀井On-Line
by horii86
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■1032, 「リクルートのナレッジマネジメント 」
「収集」しているのではないかという感覚になる。
ある程度の量になるとそれがジャンル別になってくる。
そうすると体系化への志向が生まれ、、それ自身が意思を持ち始める。
コレクション的になってきて喜びが生まれてくる。
読書日記や映画日記を続けていると、何時しか、コレクションが
「開かれる」という現象が起こってくる。
一つに集中していたジャンルに、ある日そこに夾雑物が混じりこんできて、
その夾雑物が次のジャンルを導く。これが繰り返されて色々なジャンルが
できると、ジャンルそのものの比較検討が可能になる。
SF小説、冒険小説、推理小説、時代小説などなど。
そのジャンル相互の類似と差異が目に付くようになる。
そして「小説」そのものについて、批評意識を抱くにいたります。
量がある域を超えると、「質」という問題を意識にのぼらせる様になる。
この量を超えて「質」を掴めたということは,そのまま「抽象」
を行ったことを意味する。
「量」というのは、思っているよりはるかに重要である。
これを軽んじるものは「質」で躓く。
「量」をこなしてない批評家は信用できない。
随想日記を書き続けていて、その感覚は解る。
理想をいえばー
自分では一切本を持たないで、図書館の本を徹底的に利用することである。
図書館から借りてきた本から必要部分をすべて引用しておき、読書ノートを
書庫代わりにすることだ。但し図書館がすぐ近くにあることが条件だ。
・・・・・・・・・
ーコメントー
以上が大体のこの本のレジェメだ。
これを読んでいて、私の旅行に似ているのに驚いた。
アフリカ大陸、ユーラシア、南米、インド・シルクロード、
オセアニア、イスラム世界といつの間にかジャンルができてしまう。
そして今度はどこのジャンルのどこにしようかという見方で
選択を始める。
そしてジャンルー南米とアフリカの類似と差異を見たり、
アフリカだったら、ケニアとタンザニアの差異と類似が見えてくる。
その為には、とりあえずある量ー回数をこなさなければならない。
この本を読んでいて、何でこれだけ量を読んでいながら読書日記や
映画日記をつけなかったか今更悔やまれる。
こういう本の存在を見つけられなかったからだ。
実際に何回か挑戦したが、ノートに引用しているうちに、書く事に
気をとられてしまい、そのマイナスが大きく足を引っ張ってしまった。
でも、読んだ本と、著者、出版社、買った動機、借りた図書館、
日時位とちょっとしたコメントは書けたはずである。
この習慣は必ず身につけることを誓う!!
・・・・・・・
・・・・・・・
2002年01月31日(木)
317,あだ名
中学の同級会に出るとは、男は全員あだ名で呼び合う。
私は「ハチ」である。小学校は「八ちゃん」である。
ある男が「よく巧いあだ名をつけるもんだ」といった。
全くない男が「今考えると、あだ名をつけて貰ったほうがよかった」
そして特に、「おいら」というあだ名の話題になった。
無口の愚直の味のある男で「おいら」というあだ名がピッタシであった。
誰がつけたという話になった。無口の男が重い口を開いた。
おいら「おい堀井お前だ!」
私「エー!・・・嘘だ!」
おいら「中学の一年のときの、皆既日食の時、理科の時間にしき版に墨を塗り、
それをとうして見ようとした。うっかり落としてしまったのをお前が拾い
‘落ちてるぞ、誰んだ?’と聞いた。思わず‘おいらんだ’と言ってしまった。
堀井がその時‘おいら’とつけた」
全く忘れていたが、それを聞き記憶が戻った!
40年ぶりの記憶が一瞬で戻る快感であった。
しかし、その人にとってトラウマー心の傷?ーで残っていたのだろう。
罪なことだ?
参考のため同級生のあだ名を他に挙げてみる
「カボ、ボラ、せ〜の、六角・・・」
考えてみれば「ハチ」と言われることが一番いやだった。
あの年ごろは一番気位が高い。
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01月31日(土)
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