ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■796, 至高体験ー読書日記ー2
(2)B認識は無我の認識であるともいえます。自己実現した人間の正常な知覚や、ふつうの人々の時折の至高体験においては、認識はどちらかといえば、「自我超越的、自 己忘却的で、無我」という傾向をおびるといいます。
それは「不動、非人格的、無欲、 無私」とも言いかえられるでしょう。自我中心の見方から脱して、対象中心的な見方に なったということです。
(1)で見たような違いを別の観点から表現したのだともいえ ます。  
至道無難の歌「我れなくて見聞覚知する人を、生き仏とはこれをいうなり
」というの は、まさにB認識の核心をすばりと表現しているでしょうし、逆に同じ至道無難の「我 ありて見聞覚知する人を、生き畜生とはこれをいうなり」というのは、まさにD認識を 表現しているといってよいでしょう。

 「稲や土、光や風、自然界のありとあらゆるもの、大宇宙のさまざまなものがすべて、 素晴らしい秩序の中にあって、それぞれが一つひとつの役割を果たして調和している、 そうして燃えている」と臨死体験者・鈴木秀子氏が語ったとき、世界は計算だかい「自 己」の手段として価値判断されたり、比較検討されたりすることなく、そのあるがまま の尊厳性において実感されていたのでしょう。つまり「自我超越的、自己忘却的で、無 我」の立場から感じとられていたのです。

06月09日(月)
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